見出し画像

虹色キャンバス

2020.6.22

世の中には色んな種類の差別があるけれど、私が生まれて初めて受けたのが恐らく人種差別。まだ、差別という言葉も知らないくらいで、後々それが人種差別と知ることになる。

幼少期の頃、カナダに住んでいた時の経験について振り返ってみたいと思う。

当時小学生、現地校に通っていたため、カナダ人、アメリカ人、ヨーロッパ系、インド人、中国人等、あらゆる人種の子がいた。当時私は、1人だけ日本人。なんか不思議な感じ。「何人?中国人?」って何度も聞かれて、そうか、海外の人から見るとアジア人の見分けはつかないのかと知ったのもちょうどその頃。自分の肌の色とは異なる人が沢山いたけれど、それが生まれて初めての学校生活であったため、特に違和感を覚えたことはなかった。有難いことに、友達もすぐにできた。

カナダに住んでいた頃、(幼い子どもならではの小さいケンカとかは除くと)基本的に無事学校生活を送ることができたが、二回ほど記憶に残る差別らしきものを受けたことがある。

一つ目は、ランチタイムの時間に起きた。いつも母が作ってくれるお弁当を持参したが、見慣れない日本食を奇妙そうにのぞき見され、特に海苔がごはんに乗っているのを見て、”Yucky!!”(気持ち悪い)と言われたことがあった。幼いながらになんて返したらいいかわからなかったのではないかと思うが、「え、これ美味しんだよ、食べてみて」って言ってみたら、「確かに、美味しい」って言ってくれて、それから日本食に興味を持ってくれる子が増えた。幼い頃の私は、幸いにも能天気だったようだ。

その傍らに、白人の男の子が1人でいつも食パンを一枚だけ食べていて、その食パンには正体不明の青色のペースト(ジャムではない)が塗られていて、隠すように食べていて、私の方を羨ましそうに見ていたことを覚えている。彼は来る日も来る日もそのパンを一枚だけ食べていた(貧富の差について認識したのも恐らくこの時が初めて。)。

二つ目は、カーディガン事件だ。当時、クラスに黒人のいじめっ子の子がいたのだが、列に並んでいる時に横入りをされたり、悪い言葉を言われたりして、怖かった。極めつけは、祖母に買ってもらったお気に入りのセーターをその子に踏まれ、泥の中に入れられたことがある。改めて字面でみるとなかなかショッキングな出来事だが、当時の幼い私はというと、悲しくはなったが、さほど重く受け止めてはいなかった。というのも、英語は不自由なく話すことができて、有難いことに当時仲良くしてくれる友達は沢山いたし、嫌がらせを受けたことを先生に報告することもできた。

むしろ当の本人より一番にびっくりしていたのは母親だった。そりゃ、セーターを泥だらけにされたらびっくりするよね。多分今後もいじめが悪化したりするんじゃないかとかなり心配したと思う。

でもそんな時、スーパーウーマンが現れた。

当時、慣れない海外の地で母が生活をするのに困らないよう、ロレッタ先生という家庭教師の先生がついてくれていたのだが、その先生はとても正義感が強く、母がそのカーディガン事件について相談したところ、「許せない!今すぐ私が学校に文句を言ってあげるわ!」と大変頼もしい口調で、実際学校に(それも多分校長先生に?)怒鳴りに言ったというのを母から聞いた。それでその男の子はこっぴどく叱られたらしく、それ以降いじめはパタリと止んだ。

そのいじめっ子の黒人の男の子は、よく悪さをして先生に叱られていたのだが、そのせいで、何か事件(誰かのモノがなくなったり)が起こると、最初にみんながその子のせいだと疑ってかかったり、陰口などを言われていたのだ。クラスは白人がほとんどで、黒人はほとんどいなかった。どこか一匹オオカミ的なところがあった。攻撃は最大の防御というが、もしかするとその子自身もいつも疑われるのは自分だということに悔しさを感じていて、自分を守るためにいじめっ子に転身したのかもしれないと思うと心苦しい。

先述のとおり、白人が多く、黒人は数人と少ないクラスだが、日本人は更にマイノリティー。背の小さいよわよわしそうな日本人の女の子、彼にとっては私がすぐに標的になった。

幼い私にとって、そのカーディガン事件はかなりショッキングなものであったことは確かだが、私自身も極めてマイノリティーな存在の中で、何だかその子に親近感的なものを感じていたこともあって、恨みの気持ちが沸き上がるということも不思議となかった。常にどこか、自分はみんなと違う人種だと俯瞰してみていたのかもしれない。振り返ってみるとその経験は、自分自身が傷つくというよりは、お弁当に嫌悪感を示されて、母に申し訳ない気持ちになったし、カーディガンを踏まれた時も、買ってくれた祖母に申し訳ない気持ちになったのだ。

人間は知らないモノ、コトに対して警戒心を覚えるのだという事。集団が一度、ある1人に偏見を持ち始めると、それがその集団の中の常識になっていく。集団から外れてしまった本人は、時に自分よりも弱そうなものを見つけて、仕返しをするという事。これが、極めて小さな小さな小学校というコミュニティーの中で幼い頃に学んだことだ。

アメリカのニュースを見ていると、これがもっともっと大きな規模感で、しかも命に関わるような事件が大人になっても起こっているのだから、本当に恐ろしい。

自分自身で正しい情報を集め、自分の頭で考えること、知らないものは知る努力をする、みんながそれができればいいのだが、事実そんな簡単な話じゃないから、差別問題は難しくて根深い。

でも、不快なことをされた時、これはひどいと思った時、声を上げること、それだけはした方がいいのだなと当時のことを思い返して感じる。味方になってくれる人は必ずいるのだ。救いは必ずある。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?