みゆねーの生い立ち①

【この話を書くに至った訳】

色んな人のお話を聞かせて頂くお仕事をしている。

本当にありがたい。

親友でもない、大して知らない私に、誰にも言えない様な悩みを伝えてくれる。

そして、その中で「両親との関係が悪い」人が多い事に気付いた。

悩み深い人と両親との関係は比例している。何故なら自分自身を愛せないから。

好きなフリをしている人、本当は嫌いだという事に気付いていない人、周りからの評価が自分の価値の全てになってしまっている人…。

心理カウンセラーとして学んだ結果、私はやっと自分自身を愛し、両親への感謝というものを知った。

でもその感謝は「育ててくれた事、生かしてくれた事、お金を掛けてくれた事」であって、過去のものであり今ではない。

現状、私は両親と音信不通真っ最中だ。

(何故真っ最中なのかは後々出てくる予定)

悩み事がなさそうに楽しく生きている様に見えるだろう私。

実際「今は」ない。でも過去にはあり過ぎる位あった。

さして特筆する程衝撃的な生い立ちではないけれど、そんな生い立ちの人の方が分母は多く、だからこそ大変だったと言えない人も多いのかも知れない。

もしかしたら、僅かながらそんな人達を元気付けるきっかけになるかも知れない。

「大した事ないじゃん」

と言われる内容かも知れないし、実際そうなのかも知れない。

でも、そうだとも言い切れないので取り敢えず書いてみる。


【私が生まれる前後の事】

両親は鳥取県の出身で、7歳差。地元でのお見合い結婚。

母は大して気に入った訳でもないのに、私の祖母から

「他に好きな人でもいるのか!?」

と怒られ責められ、仕方なく結婚を決めたらしい。

父は大学から上京していて、就職先が大阪だった為、既に実家を離れて大阪で暮らしていた。

なので母も来阪しての結婚。

故に私は大阪生まれの大阪育ち。

入籍後綺麗に11ヶ月で私が生まれる。

4週間以上早く生まれた早産の低体重児。

出生体重2,000g。


この全てが40年以上経った今でも、私を責める言葉として浴びせられる。

読みにくい雑記をここまで読んで下さってありがとうございます。



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