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1999年、タイ。

私の代表作の一つでもある「絶滅」のことをブログに書いていた時。

投稿後、Facebookでタイの方々にシェアされて「嬉しいなぁ」と、喜びながら思い出したことがありました。


タイはまた必ず行きたい私にとって大切な場所。

その思い出というのは楽しかったことだけではなく、心に突き刺さったまま今もなお抜けないでいる棘のような思い出があるのです。

もう20年以上も前のバンコク。

夕食に出掛けた夕暮れ時。歩道橋の登り階段でボロッボロの肌着を着て、欠けたお茶碗を手に物乞いしている小さな男の子と出会いました。

目を見つめられ、お茶碗を差し出されそうになった瞬間すごく戸惑いました、正直。幅はさほど広くない階段。何故か私は声にならない声で「ごめんなさい」と言いながら彼の脇をすり抜けていました。

歩道橋を渡って降りれば、デパートやレストランが建ち並ぶきらびやかな世界。そこに立った瞬間、「見て見ぬふりをせず、少しでも差しあげたら良かった…」と後悔し始め、「帰りに会えたら…」と思い直したのですが、結局二度と会えませんでした。

大都会に潜む『富と貧しさ』を目の当たりにした私は、言葉で言い表せない生まれて初めての感情をその時抱いたのです。時間にしたらほんの十数秒だったことでも、刺さったままの棘がちくちく痛むような決して忘れることのできない思い出となりました。

このような体験は、台湾でもニューヨークでもあったのですが、またいつか…。


子どもの頃、父から聞いたインド出張でのこと。

『乗車中のタクシーが信号待ちで停まると、客が日本人だと分かったら我も我もとストリートチルドレンが窓から首を突っ込んできて、拾った新聞を売り付けようとしてきた。』という話。

でも「一人に差し出すと次から次にどんどん集まって来て身動きが取れなくなり、危険な目に合うのでかわいそうでも恵むことはしないように。」と現地の人から止められていたそうです。

…あの時の私は、父の話が頭にあったから「恵むこと」を咄嗟にしなかったのか?今でも考えると頭がぐるぐる回り出し、心がギシギシと鳴って苦しくなります。


私は幼少の頃より、海外出張は(当時)途上国ばかりだった父の現地のリアルな話や実体験を耳にしてきたこと。また自分も大人になってこの様な場に直面してきたこと。

そういう経験が根底にあって、制作や活動にも少なからず影響しているんだろうなぁ、と。『絶滅』を目の前に、オランを抱っこしながら物思いにふけった日がありました。

あの時、あの少年にできなかったことを、いま私はどこかの誰かのためにできることはないか?、に変えて模索しています。

ぜひサポートをお願いします。私の制作活動や、オランと共に活動している「オランプロジェクト」の活動資金に活用させて頂きます。「Protect Our forest」さあ!あなたもオランと一緒に森を守り育てませんか?