みちびかれて

それは、たとえばひまわり畑に通る一本のあぜ道だった。

夏の焦がれた匂いがする。土の匂い、花の匂い、憧憬と追憶が混ざった匂い。

ぼくはそのあぜ道にみちびかれて、見晴らしのいい丘をのぼる。

信じられないほど鮮やかな青い空。枯れることをおそれない蝉の声。

汗がにじみ、滴り落ちる。でもぼくは歩みをとめられない。


この道の終着点はわからない。

もしかしたら空につながっているのかもしれない。

その道をのぼるのは、本能の一種だった。

どこまで歩いたのかはもう分からない。

引きかえし方だって分からない。

すべてがつながっている。

新たな出会いがある。

不安だったことも、たくさんのおそれていたことも、

今はもう全部どうだってよかった。


ぼくの決意と空の青さが重なって見えたとき、

「ああ、そうか。このためだったんだ」

空を見上げる。ひまわりが咲いている。全部ぼくが今まで出会ってきた人たちのようにもみえる。ぼくはまた歩く。みちびかれているから。

みちびかれてしまったから。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?