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悲しみから生まれるもの

とびきり楽しかった日の翌朝に届いた小さな命の訃報は自分でも解らないくらい涙が止まらなかった。こんなに号泣したのは父を見送った時以来なのかも。もっとも、父が亡くなった時は母が相変わらず私よりも早く私よりもたくさん泣き喚いたので私は思ったよりも泣けなかった。

酔っ払うのと泣くのは真っ先にした方がいい。

誰かが泣いたり、酔っ払うと自ずとブレーキがかかっちゃうから。泣きそびれると厄介。酔っ払い損ねるのは損なのだ。後から泣くのなかなか出来ず消化不良になってずっとどこかで悲しみが残ってしまう。今回の訃報は大好きな友人達の家族のサブちゃん黒のレトリバーだった。犬は後から生まれるけどあっという間に歳をとり自分よりも短い人生になってしまう。飼う時から看取る覚悟がいるのだ。それでも、それでも、小さな命を失う喪失感は大きすぎる。かつて私も犬も猫も飼っていてその喪失感を体験している。犬も猫も亡くなった時には私も含めて家族が親族の葬儀よりも大号泣。荼毘に伏せた後のファミレスでみんなで泣きじゃくった。ずっと泣いていた。小さな命が教えてくれる事は大きすぎるのだ。ペットだけれど家族だった。それは血の繋がりなんかじゃない家族の在り方を教えてくれている。血より濃い繋がりがある。自分にとっての存在感をありありと感じさせてくれるのだ。
サブちゃんは友人夫婦のクリスマスカードやお年賀でいつも笑っていて私の友達だった。ついこの秋口に私は久々にかつて住んでた場所を旅をした。ノープランで友人夫婦がいる街を散歩してアポなしで友人夫婦の家を覗くと友人と2匹のワンコがお迎えしてくれた。久しぶりのサブちゃん。はじめましての妹アビィ。まだ若いアビィが私に戯れてきて私は軽く吹っ飛んだ😂んだけどwそうするとすぐにお兄ちゃんになってたサブちゃんが私を守るように駆けつけてくれた。そのぬくもりとたくましさにニヤニヤしっぱなしだった。出会った頃はサブちゃんがパピーだったので熱烈歓迎で押し倒すのはサブちゃんだったのに。シニアの入り口にたってたサブちゃんの事を飼い主はちょっとだけいつかくる別れを考えずにはいられない、と顔が曇ったのだった。
それから季節が冬になった瞬間の早過ぎる訃報だった。
あぁ、逢いに行ってよかった、という思いと
あぁ、あれが最後だったのかという悲しみと
途方もない喪失感が押し寄せてしまってずっと悲しみが止まない。大粒の涙が止まらないのである。

逢いたいと思ったら、すぐ、今すぐ
逢いに行け。

という思いをまた強くしたのである。
今頃私なんかよりも途轍もなく悲しいの淵に友人は立っている。どれだけ悲しみが深いのか想像を絶する。もうなんて声をかけていいのか見つからない。探せない自分が疎ましい。
一つだけ、愛しい人を失った人へなエピソードで好きな話がある。何がネタ元かはしらないけど

亡くなった人の話をすると
天国にいるその人の場所に
花が降り咲く。

という花だ。何度も何度も思い出な話をする。思い出話に花が咲くというのはこの事か。父が亡くなってからも誰かと父の話をたくさんした時にはこのエピソードを思い出し

今頃父上は1人めっちゃジャングルなんじゃwww
(花は選べない勝手な設定w)

とニヤニヤするのである。
なので泣いて泣いて泣いているけど
サブちゃんの場所にもたくさん花が咲き、ビーチ散歩が大好きだったからとびきりなシーグラスが落ちている事を願う。願う。願う。
サブちゃんがたくさん笑っていますように。
ありったけの愛を込めて祈る。祈る。
父上、あなたの好きな大きなワンコが虹の橋を渡ったので一緒に遊んでお散歩して下さい。私の友達です。賢い子なのよサブちゃん。たくさん撫でてあげておくれーーーー。

逢いたい人には、今すぐ逢いに行こう。
大好きな人には、大好きってすぐ伝えよう。

サブちゃん♡大好き
遊んでくれてありがとう♡


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