面白い街、つまらない街
先に書いておくけど、これは「撮影してるときに」という注釈が別に付く。
遊べないとかという、一般的な話じゃないですので、ご注意。
先日出かけた「栃木県足利市」は、何度も訪れた街だが、今回も面白かった。
私にとって「街の面白味」というのは、言うなればそこに住まう人たちの「街への愛着」であり、そこから滲み出てくる「匂い」の濃淡で決まります。
つまり、建造物にしても、新しいよりは旧い方が、匂いは強く感じられるわけです。
歴史が染みていますからね。
足利市も、街中から少し外れると、昭和の匂いがプンプンする小路があります。
それと、その街それぞれが経てきた歴史…例えば群馬県の桐生市なんかは、織物の街としての歴史がありますから、ノコギリの刃のようにギザギザとした屋根があったり、商談の関係で使われた「パーラー」等の建物が存在していて、そそられる所があります。
同様に鉱山の街や、工場の街にも、特有の「匂い」が満ちています。
こういった街は楽しい。
歩いているだけで満たされていく。
カメラを持てば、気分は爆上がりというわけです。
ところが、それとは逆に「つまらない街」というのも往々にしてあります。
…というか、そういう街が普通なのですが。
そんな街には特有の傾向があるのです。
先程とは逆の、地元への愛着を感じられない街です。
こういった街は、一見するととても綺麗に感じられます。
理由は幾つか考えられますが、ひとつには「過去を払拭する」ことに懸命な街がそうです。
地元の名士が、盲目的に刷新を図ろうと動いている街は、見かけは良いのですが、面白味はありません。
これは特に、観光を生業のひとつとして位置付けている街に多い傾向があります。
どんなに目を惹くような作りにしようとも、そこには「時間が足りない」のです。
刷新とは、詰りが棄てることです。
私が用があるのは、その「棄てカス」の方なのです。
今回の足利への撮影行では、サボテンを模したような遊具と出会いました。
…何度も色を塗り替え、その都度剥げたのか、非常に豊かな色合いになっていました。
無為なものではあれ、これは偶然が重なっていって仕上げられた姿であり、ひとつのオブジェとも言えます。
見られるために作られたものでは無く、子供が泥足で踏みつけても大丈夫なよう、厚くペイントを施された遊具です。
単一な目的のために作られたものだからこそ、そこには一切の作為がありません。
騙しがないのです…だからこそ、モノとして美しいし、撮影対象として魅惑的なのです。
遊具に限らず、街そのものが「オブジェ化」している場所が、私には最高のプレイスだと言うことです。
そういった街は、早々あるものじゃないし、為政者の考えひとつで台無しにもなる可能性もあります。
…ですから、私はこれからも撮り続ける。
永遠に消えてしまう前に。
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