自立への一歩
緊急事態宣言下のゴールデンウィークは、ホテルのお客様達とにぎやかな時間を満喫し、
スイートに滞在してくれた、可愛いチワワちゃんや、おっとり可愛い柴ちゃん達と遊んだり、お散歩に行ったり、久々に、平和な日々でした♪
おかげで、ワタシのTODOは、まったく、はかどらず、、一昨日から、また、ジタバタしています。笑
前回は自立について、書きましたが、
自立することを目指す前に、若いみんなへ、もう1つ、考えてみて欲しいことがあります。
自律について。
今日は、自律することを知らなかった為に、おきた、ワタシのちょっとした悲劇について書きます☺︎
若い頃のワタシは、自分の生活において、まずは、経済的に自立してみたくなり、
ひとりで生きていけると親に生意気なことを言って、実家をでたものの、当時の私は、もう、25歳近くになっていました。
ワタシ達の世代ぐらいから、どうやら、世間では25歳くらいになると、おばちゃんやん!
といわれる、クールな世の中になり、
立派なおばちゃんが、まだ、親のスネをかじって生きてるくせに、自己主張もしたい!好きなこともしたい!
正直なところ、そんな自分がイヤになってきたりもして、それが、実家を出たきっかけでもありました。
コワオモテの父から、
お前なんか、1人で生きていけるような甲斐性もない人間が、自立できるもんなら、やってみろ。ろくな生活できんからな!
と、罵られ、なかば、家出のように、実家を出ました。笑
それから、先にひとり暮らしをしていた、姉の家に居候させてもらえたのも、つかのま。
姉からも、さっさと、自分のマンションくらい探してきてよ!と冷たく、突き放され、冬の寒いとき、やむなく、ワタシの貧乏生活がスタートしました☺︎
自立の前に
初めての一人暮らしは、会社に収入証明をもらったり、書類をそろえるだけで一苦労でしたが、マンションを、なけなしの貯金で、契約してみたものの、
ワンルームの部屋には、カーテンも、お皿もコップも何ひとつ、なかったので、
ダイソーに行って、日用品を買い揃え、まったく好みでない、安いカーテンをドンキーホーテさんで嫌々、買いました。
自転車でトイレットペーパーから電化製品まで、買いに行き、とにかく、ひとりで生きるって、こんなにお金がかかるんだ!と、現実を知り、漠然とした記憶があります。
母は心配して、いろんなものを送ってくれたりしましたが、そのうち、鬼のような父にバレ、仕送りはおろか、箸一本、あいつに送るな!と。笑笑
今では笑い話ですが、本当に、この時ばかりは、がむしゃらに働いて、
何が何でも、はやく、自分の住みたい家に住み、好きなクルマにのり、自分がいちばん、好きなヒトと結婚してやる!!と心に誓いました。
ソファもひとつ、おけない、友達が遊びにきても、座る椅子もない、ワンルームでこのまま、30代を迎えるのはごめんやわ!!そんなキモチだったのをよく、おぼえています。笑
今では、自分でも、子供だったなーとあきれますが、だからこそ、ヒトが休んでる間も働いて、仕事も頑張れたのかな!とも思います。
せっぱつまらないと頑張れない性格なので。笑
20代のときは、風邪をひいて、高熱が出ても、朝は8時台から、夜は12時近くまで働き、
そうしてるうちに、気づけば、色んなことが変わっていきました。
やがて、8畳のワンルームから脱却し、2LDKのマンションへお引越しできるくらいにはなりましたが、
母は、何度も、実家に戻ってきなさいと、心配してくれ、本当にどうしようもない、親不孝な娘だったと思います。
実家にいた時は経済的には父に守られて、人一倍、甘い考えで、生きてきたワタシは、
この頃、自分の中に、まだまだ、頑張って、もっともっと、自由に生きたい!という勝手な欲が出てきて、
不思議と、実家を出てからは、金銭的にどんなに苦しくても、親を頼ろうとは思いませんでした。
当時、ワタシの生活を心配してくれた、姉や友達からも、そのうち、変態呼ばわりされるようになり、仕事大好き人間みたいに誤解されてましたが、
12時近くまで仕事して、夜中からまた、友達と食事やお茶したり、遊んで、明け方4時とかに家に帰って、シャワーを浴びて、そのまま、新幹線で出張へ行ったり。
移動中に睡眠をとるという、無謀さでしたが、それはそれで、私なりにけっこう、楽しんでいました。
そんな、めちゃくちゃな生活を5年近くも続けているうち、ワタシは、とうとう、倒れます。
朝、起きたら、天井がグルグル回っていて、立てないのです。
吐き気もひどくて、このまま、死ぬのか!とよぎったくらいでした。
何とか、枕元にあった携帯電話で、近所に住む姉に電話したとき、左耳の聴力がかなり、落ちていることに気づき、やっとの思いで、救急で病院へ駆け込みました。
病名は、突発性難聴か、メニエール病。
たまたま、入院した病院には、耳鼻科の名医と呼ばれる先生がいたのに、
どっちか、今はわからない。どちらかですねーと呑気なことをいわれます。
それから、1ヶ月近く、入院することになりました。
まあまあ、重症だったようで、
入院してから、この先生から、普段の生活について、根掘り葉掘り、聞かれ、毎日の生活の様子を正直に話すと、
「あなたは自己管理もせず、無茶な生活をしてるようですが、カラダは悲鳴をあげてるんですよ、ストレスとかも、あったんじゃないですか?」と言われます。
ワタシ「ストレスなんか、ありません。働きたくて、働いてますんで。」
先生「そういう人に限って病気になるんですよ。自分のストレスに気づかないタイプ。悪いこと言いませんから、気をつけないと、治りませんよ。」
名医からも、見はなされたような事を言われ、
おバカなワタシは、この忠告をあまり、重くうけとめていませんでした。半年後、また、入院することになるともしらず☺︎
点滴と療養したおかげで、めまいはおさまり、退院もできましたが、耳鳴りは消えず、聴覚も少ししか、戻りませんでした。
それでも、入院していた事すら、親にも話していなかったので、ひとりで退院手続きをして、さっさと仕事に復帰し、また、もとの生活に。
そして、半年後、やっぱり、
朝、起きると、天井がまた、グルグル。
それでまた、同じ病院に入院し、前回と同じ病室のベッドで、自分のアホさかげんに、ようやく、気づき、反省します。。
自分が入院していることで、仕事に穴をあけ、たくさんの人に迷惑をかけていること、
自立したい!と意気込んで、頑張ってきたものの、自律するという、社会人として、基本的なことを全く、意識してなかったのです。
好きなことをするのと、好き勝手するのとは違います。
ワタシは自分で自分の行動や生活をコントロールもせず、自分の感情のままに好き勝手していたのです。自分がもう、とっくに大人になってるという現実を見ずに。
それからは、ワタシの人生の中で、仕事を優先するのであれば、プライベートでは無理をせず、自律する!という、きまりをつくり、守るようにしています。
自律と自立
大人になると、自分をマネジメントしたり、自分自身をコントロールできることが当たり前になり、これを、自律といいます。
仕事でも、自律できる人は、ヒトがみていてもいなくても、自分の気持ちをコントロールし、必要な行動を考え、自発的に動けるヒト。
自分を何とか、マネジメントできるヒトです。
人間は誰でも、私利私欲というものがあります。
たとえば、友達と20時に約束していたとします。
丁寧にカットし、掃除までしていたら、友達との約束の時間に遅れるかもしれない時、どうしますか?
自律できないヒトは、まぁいいか!と、ずさんな仕事をし、掃除も明日でいいやろ!と言って、さっさと帰ります。
自律できるヒトは、自分の頭で考え、私利私欲を後回しにし、お客様達にも、お店にも、責任を果たしてから、なるべく早く帰ろう!と行動します。
要するに、自制心があるか、ないか。
自律ができないヒトは、自立するなんて、はるか遠く、
自分が、自律できないヒトが後輩や部下に何かを教えるとか、伝えることもできないでしょう。
自分の気持ちくらいは、コントロールできて、初めて、自律し、自立できるのです。
ワタシ自身も、少し前、自分が変わったのかな!と、思った瞬間がありました。
ワタシは生牡蠣を一切、食べません。
大好物で、
昔はホイホイ、食べてましたが、今はどれだけ、すすめられても、キッパリ、断るようになりました。
ちなみに、生牡蠣を食べて、あたった事は今まで、一度もありません。
自分が、2、3日、仕事を休める環境なら、別ですが、いまは仕事で穴をあけられないからです。
休んで周りに迷惑がかかるかも!という自制心が、いつのまにか、私を生牡蠣を食べないヒトに変えてしまったという。
些細なことですが、昔のワタシには考えられなかった変化です。笑
ワタシのアホな青春話は、自律もろくにできず、調子にのりすぎて、周りにまで迷惑をかけたという情けない結末でしたが、
自律するということは、ヒトの為でなく、自分と周りのヒトを幸せにし、自分が自立するのに、最初に必要なことです。
自立を考えるなら、まずは、自律から。
みなさん、夜ふかしや生牡蠣などはお休み前にお願いします☺︎
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