#74 空想のすみか、理想の家
どこにでも住めるとしたら、ですって…???
まずはっきりしているのは、現実か空想かってことはことは気にしないで
自分が《どこにでも馴染める半透明人間》になったつもりで考えていいってことですよね。(誰に聞いているのかな)
わたしにとって「住みたい場所」というのはつまり、
「実在するかもしれない、理想のロケーションに建つ
厚みを持った美しい家」
を指します。今日はまたどうでもいいことを語ります。
妄想の世界をほんの、ほんのすこーしずつ具現化していっているわたしにとって
理想の家に暮らすことは永遠のテーマであり、
そしてもどかしいほどに遠い夢でもあります
マイホーム建てたらいいじゃないの、と言われるかもしれないけど
違うんです。
お金なんてきっといくらあっても十分じゃないし、もしかしたらお金以外に必要なものの方がたくさんある気がする。時間とか、決断力とか、センスとか、センスとか、センスとか。
そこを丸っと「あなたに!!お任せしますね」と手を固く握れる様な方に設計していただくことも夢の一つだし、
大きな声では言えないけれど
わたしはその家に “ 1人で “ 住みたいと思っています。
そこに住まうわたしは家に似合う人でなくてはならくて、要は今のわたしにはお似合いじゃないのでしょう。
小さい頃からずっとこのことについて考えていました。本当に、5歳とか、物心ついた頃には頭の中にいつも理想の家が建っている子供でした。エーデルワイスと聞いてヘーベルハウスを想像するような子供でした。しょうもな。
・・・
その家は時に平屋だったりバルコニー付きの2階建てだったり、また半地下を備えていたりしましたが、ずっと共通しているのは
「近くに人の気配がないこと」
「生活感を感じさせない外観であること」
「周りを豊かな自然が取り囲んでいること」
でした。
うん、ちょっと嘘っぽい感じがいい。
不便すぎるだろう、という湖畔の林のそばがいい。
土と水の匂いがするドライな気候で、陽が射すと木漏れ日が地面に広がるくらいの疎な木立が囲んでいてほしい。反対側は緩やかに斜面になっていて、遠くに街が見えているくらいがちょうどいい。
雨が降ったら安心して家の中から外を眺められる高性能な家がいい。
サッシを閉めたらきゅうと音がするような。
美術館の様に、内包するもののエネルギーを静かに湛えて平然と立っている様な
アンバランスな空気が外側にだけ漂っていて欲しい。
内側は安全で心地よく、清潔で、好きなものだけをうるさくない感じで、並べていたい。
・・・
多分わたしはその家にいる頃、きっとこの世にいないのだと思います。
昼間に時々ふっと空想の家に行ってしまうことがあります。
陽だまりにひろげた洗濯物みたいないい匂いがしてずっとそこにいたくなるけれど、長くはいられないのをどこかで知っている感じ
きっとそれは現実の細々とした面倒な事情から目を背けたい時なんだろうなぁとぼんやり思います。
あちらの世界で1人静かに暮らすことを楽しみに現実を生きるなんて悲しすぎる、、だからこちら側でも積み木を積むように少しずつ形を作って行こうとしています。
安息の日々があの家で過ごす様な穏やかで何の心配もない、澄んだものであって欲しいと願いながら、終わりを意識して生きることは
ある種宗教的思想に似たものなのかもしれないな、だとしたらわたしは「わたし教の教祖だな」なんて
またくだらないことを考えている午後です。
結局わたしの理想の家はここにはないのかもなぁ。
るる
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