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#147 人生の流れを変えることを決めた

よく考えなくとも、犬との生活は不向きだと心得ていた。

清潔かどうかが気になりすぎるから
可愛いだけではない動物をうっかり家に迎えるということを
ずっと慎重に避けてきた。

ところが先日、小さな家族が増えた。

わたしの膝の上で寝息を立てている。
信じられないけれど、彼女は生きている。

・・・

白状すると、最後まで決心できなかった。
夫に委ねてしまった。(夫婦でかなり長い時間悩んでいた)
腕の中で大人しく抱かれている小さな犬を、息子は絶対に連れて帰ると言って譲らなかった。

初めて出向いた譲渡会には20頭ほどの犬がいたけれど、いつもの様に「動物を飼うっていうのはそんなに簡単なことじゃないのよ」と言って帰るはずだった。
でもその日、何がどうなって連れて帰ることになったのかそれすらよく思い出せない。夫が「連れて帰ろう」と言ったことに「よく決めたなぁ」と呑気に感心していただけだった気がする。

犬も猫も飼ったことがないわたしは、動物がいる家の匂いには人一倍敏感になってしまう。洋服やソファにつく毛をどうすれば良いのか、エサのお皿はどうやって洗えば良いのか、皆目分からない。無臭で清潔な状態に戻すことが無理だと言うのがどんな感じなのか。ただ「そんなの無理」と思って生きてきた。
強いて言えば猫がいいなぁなどとゆるく思っていた。

快適すぎるほどに最適化された自分の家に、動物がいるということを受け入れるということは実際、想像以上にハードなことだった。


・・・

彼女は4回の出産を経ていた。
保護団体の方に「酷使した子宮は膿が溜まるから早く取ってやったほうがいい」と言われて即座には返事ができなかった。
こんなに小さな体でまた手術をする必要があるのか。
4年しか生きていないのに4度も子供を産み、
その子らを1匹も育てることなく毎日ゲージの中で暮らしていたと聞いた。
獣医の先生に診てもらったところ、年齢を疑うほど歯がボロボロだと言われた。フワフワした毛ばかりで2キロしかないその身体は片手で抱けるほど小さい。
4年も生きているのに、一度も外を散歩したことはなく
家電や掃除機の音に無反応で
ただじっと人の顔を見て控えめに尻尾を振る。
連れて帰って2日目に初めて鳴く声を聞いて、声が出るのだと安堵した。

ペットショップにいる子犬たちとはまるで違っていた。
とにかく静かで穏やかな目をした彼女は、大雨の日に雨粒の垂れるテントの下でいろんな人に撫でられていた。されるがままに抱かれ、少し寒そうに見えた。これからの人生を誰に預けるのか、考えたこともないのだろうかと思うと気が遠くなった。

・・・

ただ、先に言ったように問題はたくさんあった。
わたし自身に。
性格は犬が家に来たからといって急に変わらない。
完璧に掃除できないゲージや獣の匂いには未だに慣れないし、一向に慣れる気もしない。朝起きてウンチまみれになっている彼女を見て卒倒しかけたのは1度ではない。丹念に磨いた床に黄色い水溜りがあっても、根気強く教えるしかない。
いや、根気がいるのは発狂せずに床やブランケットを清掃することかもしれない。

どういうわけか後追いがすごくて、トイレまで付いてくる。食事の準備でキッチンにいる時は何度も蹴飛ばしかけてヒヤヒヤした。ピラティスを始めると、マットの上で寝始める。やれやれ、これでもまだ一部なんだってことをわかっていただけるだろうか。


あのう、ヨガマットを譲っていただけませんか?

・・・

息子に兄弟がいればよかったなぁと時々自分を責めたりした。
いきなり5歳くらいの子がポンと生まれてくれたら、と思ったこともある。
それは絶対に無理だけど。

発狂寸前で床を拭いてたら、息子が彼女に「ダメだよ、トイレでするんだよ。トイレはここ。ね?」と言って聞かせているのが聞こえてきた。神妙そうな2人の様子にふふふってなる。
名前も息子がつけた。(男の子みたいな名前だけど、彼女はすぐに覚えた)

いつか息子が手を離れて夫と2人じゃ寂しいとなった時に猫を迎えようかな、と目論んでいたわたしの計画はあまりにもあっさりと塗り替えられたけれど。まさか毎日床をゴシゴシする日が突然始まると思わなかったけど。

それとおんなじ様に、家族にとって彼女にとって、思いがけない良い変化が起きる気がしてならないのはなんでだろう。夫の英断によって確実にうちの家族には変化があった。
少し戸惑うのだけど、わたしは彼女が来てから息子が余計に可愛く見える様になってしまった。息子は「家でこの子がイッチバン可愛い!」と言うけれど「いえいえあなたが一番よ!」と思う。ただの親バカなのか。
夫に対しても前よりもやさしい気持ちで接することができる気がする。多分夫が気が付かない程度に、微かに。
夫はというと彼女にめろめろだ。彼はとても上手に薬を飲ませる。丁寧に餌をふやかして潰してやる。そして毎日の様に犬グッズが増えている。

毎日床拭きで気が変になりかけながらも、希望の方を見つめられる様になったわたしもちょっと褒めてあげることにする。

「犬を飼う」はちょっと違うんだな。「彼女のこの先の人生を預かる覚悟をした」なんて言うのは格好つけすぎかもしれないけど。
わたしの人生の流れに、これまでは全く無かった温度の水が流れてきた感じがして、戸惑いつつもなんとか水面に顔を出して泳いでいけたらいいなと思う。


るる


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