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自分の拡張

車を運転すると、性格が荒くなる人がいる。
わたしはというと、運転しても性格は全く変わらない。むしろ事故の可能性にヒヤヒヤして大人しくなる。

自分の性格が変わらないことに安心しながら、荒れる人とそうでない人の違いってなんだろうと思っていたいた。

私の性格は元々穏やかで気性の荒い部分が少ないからかな。そのことにちょっと得意気に感じたり。

そんなことを思っていたいた中で、わたしのお気に入りのpodcasts『超相対性理論』を聴いていたところ、印象的な発言があった。

ちょっとうる覚えなのだけど、
スピーカーの1人が楽器を習い始めたようで、

「楽器を吹くことで自分の身体が拡張されたように感じ、それを楽しんでいる」

という。
自分の能力が道具によって広がることが面白く楽しいという。

なるほど!!!

これってわたしが車を運転しても性格が変わらない理由なんじゃないか。

わたしは車に乗ることで自己が拡張された感覚が全くない。
車という大きい物体や速いスピードを自分のものと感じない。
だから、自分の気が大きくなったりしない。大きさやスピードは私のものでは全くなく、車のものだから。

逆に、自分の力でスピードを加速させ、体でスピードを体感出来る自転車なんかは、なんだか自分が少し強くなった感じがする。

自分が自転車によって拡張されていると感じる。


そういえば、この拡張の話はわたしの楽器体験にも当てはまる。

学生時代、わたしは吹奏楽部に入っていて、クラリネットを吹いていた。自分で音楽を奏でることがなんとも言えない幸福だった。

なのだけど、リズム感や音感を持ち合わせておらず合奏では苦労し、周りに迷惑をかけた。悲しいことに後輩よりも下手だった。

そんな苦い経験があるため大人になってからは吹奏楽を離れたのだけど、音楽を奏でることは続けたくて、コロナ禍を機に電子ピアノを買ってみた。
ピアノは自分一人で音楽を完成できるから。

弾いてみると、なんだか物足りない。思ったよりも楽しさがない。
美しくピアノを奏でる人やその音を心から尊敬し素敵だと思うけれど、自分が弾くのは何か違う。

わたしには、自分で息を吹き込んで音を出すことが大切だったみたい。その動作で道具と自分が繋がり、自分が拡張される。音楽を奏でる感動と楽しさが生まれる。


物事を楽しむには、「自分が拡張されるもの」というのがキーワードとなりそうだなと思った。

より生で感じられること、より自分の動作が反映されるもの。

この種類や度合いはきっと人それぞれで、自分なりの拡張を見つけれるとより良く楽しむ選択ができそう。

何でも機械化しショートカットできる世の中で、その便利さを受け取りつつ、生の感覚を残す部分を意識して作りたい。

そうすることが、生きる実感、生きる喜びみたいなものに繋がっていく気がする。

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