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with 〜 共生するということ

自粛が緩和の方向になって久しぶりに居酒屋に飲みに行った。

SNSで対策をしていることを発信されていたので安心して来店したけれど、今後居酒屋さんなど夜にお酒を提供するお店の存続は並大抵のことではないなと思う。

手作りの衝立を設置し、大きなテーブルは少人数ごとに区切り、お店の方とのやりとりの際も不安を感じないように、ビニールの仕切りを設けていた。

今ではもう日常の光景になってしまった、ドラッグストアやコンビニなどでのビニールの仕切り。マスク越しプラスビニール越しのやりとりは不自由も多くて、何度も聞き返してしまう私。しまいには諦めて「こう言っているだろう」という予測で返事をしてしまうほど。
今はもう、「以前の生活」ではなくて「共生する新しい生活」を受け入れなければならないという。

居酒屋に出かけたついでに、と二軒目はバーに行く。こちらは自粛期間中お店を閉め、このほどようやく再開となった。またいつどうなるかもわからない中「こんなことになるとは予想してなくて、いろいろ考えちゃいました」と店主さん。
お店のせい、ではなくてウィルス蔓延が引き起こした休業という厳しい選択。

店主さんはこの期間、副業としての別の道を模索するという手段に出ていた。休業が長らく続くことも想定してスケジュールを立てていたらしい。
幸いなことに、店の再開は数ヶ月後には可能となったわけだけれど、「1つの道しかないことは危険。これからも別の道を探していく」と、したたかにものんびりと答えてくれた。

このような話を聞くと、その強さに感服するけれど、変わりゆくことがこんなにも強制的に、不自由に訪れることを誰が予想しただろうか。
変わらざるを得ない、その先に人はどんな選択をこれから迫られるのだろう。

久しぶりに顔を出したお店では「あれ、なんか変わりましたね」と言われた。一瞬誰だかわからなかった、ということできっと外見の変化のことを指しているのだろうと思う。

その良し悪しは分からないけれど、いずれにしても「変わった」と言われたことが嬉しかった昨日。

同じは安心だけれど退屈。せっかくなら良い変化を自分に引き寄せたい。

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