恋よマジメに哲学されよのコピー

茜さん!婚活スパイラル



1.  茜さん、決意する


 自分はごく普通の平凡な人生を歩む。
 
 若い頃の曳馬茜(ひくまあかね)は一点の曇りもなく、そう信じていた。成績も中の中、悪目立ちもその逆もなく、無難な青春時代だった。
 就職活動もそれなりに乗り切って、遅くも早くもない年齢で結婚をした、一回は。


「曳馬様、婚活をする際に特にバツイチという経歴に引け目を感じることはありませんよ」
 厳重に他人との接触がはばかられた個室重視のオフィスで、茜はやや気後れしながら完璧なスタイル、完璧なメイクをした女性スタッフの面接を受けている。
「ただ、四十という年齢は男性にはやや厳しく映ることもあるようです。特にこう言った真剣に結婚相手をお探しの方が集まる場では、お子様を持ちたいとお若い年齢をご所望の方が多くいらっしゃまいすので」
 パチパチ、完璧な女が口角を上げたまま長いまつ毛を瞬いてやや沈黙。放った直球の反応を見ているのか。
 婚活サイトの面接を受けると格段に紹介率が上がると言われて来たものの、値踏みされているようで、先ほどから茜は冷や汗をかきっぱなしだ。
「ある程度のご年齢でお子様を希望なさる方には、すでに子持ちの方を希望される傾向にありますし」
 いちいち自分の言葉に深く頷きながら、面接官の女は「あなたの婚活はそう簡単ではない」と宣告した。
「ただし、私共は決して諦めません。それは曳馬様も同じことでございます。ですので、決して諦めることなく、曳馬様にも最大限の努力をぜひ」
 グッと身を乗り出してにっこり笑顔。完璧なアーチを描いた眉と瞳が瞬時に笑顔を作り出す。テーブルに添えられた左手薬指には当然のごとく指輪が輝いている。

 
「自己けん・・・何ですか、この字。初めて見るぅ」
 会社のランチタイム。
 23歳の同僚マリちゃんは、茜の差し出した「幸せな結婚への道ガイドブック」を見るなり、眉間にしわを寄せた。茜は最初に彼女の顔を見た時、その完璧すぎるメイクにぎょっとしたものだ。今ではもう慣れたけれど、スッピンの彼女を判別できる自信はない。
「自己けんさん、とにかく自分磨きしましょうってやつね。失礼しちゃうわよねーって思うけど、ありのままの私を受け入れてっていうのも自信満々すぎか」
 マリちゃんからガイドブックを受け取った美子ちゃんは白けた顔でパラパラとページをめくる。35歳でシングルマザーの美子ちゃんは、茜と同じ総務課だ。
「それにしても、結婚相談所って今こんな感じなんだね。セミナーざんまいじゃない。料理やメイクレッスン、話し方講座なんかはわかるけど、歌舞伎や能?ってなに」
 37歳独身の春井さんは、意外にも興味を示して来た。この話を打ち明ける時、茜は彼女の反応が実は一番気になったのだ。
 春井さんは新卒からずっと同じ部署で働いていて、皆んなから信頼されているしっかり者。ただ男の影は一切見えないし、誰も彼女にそんなことを聞かない。会社の飲み会にもほとんど参加しないし、きっちり定時で仕事を終えて帰る姿は、誰も寄せ付けない凛とした空気がみなぎっている。
 彼女の下についているのが化粧完璧のマリちゃん。2人は営業課の事務をしている。
「歌舞伎とか能は、趣味を広げて見識を深めましょうっていう目的みたいです。話のとっかかりとして、趣味や休日の過ごし方なんかは重要なんですって。趣味が1つだけだと合わなかった時に話が弾みづらいからって」
「どひゃー、私、無理ぃ。歌舞伎とか意味わかんないし、興味なーい。無理して話題合わせてもいつかボロ出るっていうか」
 お昼を一緒に食べる4人の女子社員の中で、一番若手のマリちゃんは早々にスマホに視線を戻した。片時も離さずは、もはや若い子の定番で、操作しながらでもちゃんと耳は会話に参加している。器用なのか、そもそも感覚の造作が自分とは違うのか。
「会員登録の他にセミナー代も必要って、結婚相手探すってお金かかるんですねぇ」
 美子さんはしみじみとそう言ってお弁当箱をしまう。愛しの息子からのお下がり、とキャラクターものの巾着袋をいつも使っていた。春井さんが一度「いくらかわいい息子のだからって、貧乏くさくて私は無理だなぁ。息子ができてもああいうのは勘弁」と呟いているのを茜は聞いたことがある。
 茜はただ、自分にも美子さんみたいなママとしての人生もあったかもしれないな、と感傷に浸るくらいだけれど、春井さんのその言葉を聞いた時に、彼女の人生の中にはまだ結婚出産という選択肢があるのだな、と妙に感慨深い気持ちになった。

 茜は最初の結婚で、新卒で就職し10年以上勤めた会社を退職していた。相手にそれなりの収入があったし、異動して来た上司とそりが合わなかったこともあって未練などなかった。のんびりと過ごした後で子作りでもすればいい、ぼんやりと描いていた道筋は自分のものではなかったのだ。
 離婚を機に再び就活をして、何とか今の会社に入れたのだけれど、仕事はささやかにも順調だし、同じ課のシングルマザー美子ちゃんとは広く浅くうまくいっている。
ランチタイムには営業課事務のマリちゃんと春井さんを加えた4人でそれなりに円滑に会話もできる。
 茜の人間関係は、離婚後の5年ですっかり落ち着きを取り戻した。男女も同じだけれど、月日が縁というものを丁寧に整理してくれる。学生の頃には思いもしなかった出会いや別れがあったけれど、茜は今穏やかな流れに身を任せていられた。
 一度失敗したことで、両親はあまりうるさく言わなくなったし、お一人様もそれはそれで気楽で自由だ。

 ただやっぱり、パートナーは欲しい。

 自分は普通で平凡な人間だ。このままダラダラと定年まで今の会社に居続けて、それなりの給料とともにそれなりの小さな幸せとともに過ごして、それから?

 平均的に寿命を生きるとしても、圧倒的に足りないのだ、安定感が。

 学生時代の友人たちは、主婦かキャリアウーマンか真っ二つだし、最近では一年に一度会うのも厳しいほどに接点がない。大人になってからの友人はどこか希薄で、頑張らないと縁が続かない。
 当然、今から自分が仕事をバリバリするような自立した女になるのは不可能だ。それならば、もう1つの選択肢「誰かの妻」という地位を確保するしかないだろう。
 それほど、今の自分は頼りない。

「確かに結婚すれば安定はしますもんね」
 思い切って、女4人が囲む昼時のテーブルで婚活サイトのことを打ち明けた茜に、美子ちゃんが一番に同調してくれた。シングルマザーの彼女は「男はもうこりごり」と言うわりには「離婚は正解だったけど、両親揃ってないことは子供にとってよかったのか」と迷いを常々口にしている。マリちゃんは予想通り「面白そう!」と目を輝かせたし、春井さんも穏やかに聞き入ってくれた。
 ただ本当のところを言えば、マリちゃんも春井さんもランチの話題が別のことになるのならば何でもよかったかもしれない。
 最近では二日に一回は繰り広げられる美子ちゃんの息子自慢の動画に、他の面々は明らかに飽きつつあったのだ。
 お愛想で「かわいいね」と言っているだけのウンザリした空気に、美子ちゃんだけ気づいていない。
「でも、結婚がウンザリってわけじゃなかったんですねぇ。もう一回しようと思うなんて」
 まるでその場の空気に頓着のないマリちゃん言葉が、4人の上空を旋回する。
「あ、なんかヤバイこと言いましたぁ?」
 いつも一言多いことを、春井さんに散々たしなめられているマリちゃんは、つるっとした掌を口に当てて眉毛を下げた。
「わは、参ったな。まぁそうなの、結婚に失望したわけじゃあなかったんだよねー」
 これ以上聞くな、と予防線を張ったつもりだけれど、ちゃんと届いたのか、そもそもそんなに興味なかったのか、「ふうん、そんなもんなんですねぇ」と気の無い返事を寄越したマリちゃんはまたスマホの画面に視線を戻す。

 確かに結婚には懲りていない。そう、たまたま相手が悪かっただけだ。

ここから先は

18,121字

¥ 500

期間限定 PayPay支払いすると抽選でお得に!

サポートをいただければ、これからもっともっと勉強し多くの知識を得ることに使います。