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タイの映画「デュー あの時の君とボク」を観た

 映画「デュー あの時の君とボク」を観た。

韓国のファンタジー恋愛映画「バンジージャンプする」(イ・ビョンホン主演)をリメイクしたタイの映画。そのまま持ってくるのではなくてアレンジを加えたストーリーとなっている。

ストーリー

1996年、タイの狭い田舎町。厳格な父親のいる保守的な家で育ったポップは転校生であるデューに出会う。何となく疎外感を感じていた2人は急速に仲を深め、それは愛という形に変わっていく。ただ、時代に翻弄され周囲の理解を得られない2人は結ばれずに絶縁。23年後、再び地元に帰ってきたポップは母校の臨時教師となるが、問題生徒であるリウに何か懐かしい面影を感じるようになる。

エイズへの恐怖に、片田舎の小さな町は同性愛に対する偏見を強め、実際に学校は矯正施設なるものに同性愛者の疑いのある男子生徒を送り込んでいた。その中で、自分の嗜好に気づいていたが言い出せないデュー、いっぽう厳格な家に育ち自覚のないまま思春期を迎えてしまったポップ、2人はお互いに仲良しの友人同士という形を取りながら、少しずつその距離を変化させていく。

ある日、その一線を越えようとしたところから、2人の関係にヒビが生じるようになる。ことが決定的なものになったとき、正直でいたいデューと、踏みとどまることを選択するしかないポップの行く末は、皮肉にも互いに願っていたものとは逆の方向に流れてしまう。

同性愛者への偏見、田舎町を覆う間違った思い込み、これら全てを時代のせいにするわけではないけれど、きっと出会ったのがもう少し遅ければもっと違う結末を迎えていたに違いない。

厳格で男らしさを強要される家庭への不満、いっぽう母1人子1人という環境への寂しさの反動、鬱屈した気持ちが爆発したとき、2人の見ている方向は少しズレたものになってしまう。

これは、時代がもう少しあとだったら、というよりも2人の思いが高まった時があと数日ズレていたら、もしかして全く別の結末があったのかもしれない。

結ばれなかった2人は、皮肉にも再会する。ただそれは「生まれ変わり」という形でだった。

2人の再会

大人になり、結婚もしているポップは、事業に失敗し地元に帰らざるを得なくなる。美しく、理解のあるパートナーに恵まれたポップは、スマートに成長していて、目の前の苦難を乗り越えようとしていた。そこに現れたのがリウという問題児。

彼氏である先輩といつも一緒、よろしくないグループと絡み、先生のウケも良くない。臨時教師から正式雇用になるステップの一つとして、リウに気を配ることを課せられるポップ。それはもう運命としか言いようのない出会いだった。

最初は浮いた存在で、真面目に授業を受けようとしないリウに手を焼いたポップだったが、ここに居場所がないような気がする、と彼女の口から聞いた頃から自分と、かつて愛した人との葛藤を思い返し、懐かしく思うようになる。

なぜか彼女を見ていると、あの頃のことを思い出す。何とリウが好きなものは、デューとの思い出があるものばかり。そしてリウもまた、自分の中に説明のつかない出来事があることを自覚しつつあった。

そう、お気づきだろうか。前世で結ばれなかったデューは生まれ変わり、今度は女性となってポップの前に現れる。時代が流れたとは言え、同性愛よりも周囲の理解は得られるはず、なのに。

2人の幸せを阻むもの

狭い田舎町では今度は先生と生徒という関係性が、タブーになってしまう。何かと彼女を気に掛けるポップのことは、次第におかしな噂として囁かれるようになる。
さらに立ちはだかる23年という月日の重さ。一時的に盛り上がったとしても、この年齢差は2人の未来を決して明るく照らそうとはしないだろう。

ただ、ポップは懐かしさに心が動くだけなのに、デューを感じるという理由だけで、リウに特別な感情を抱くことは決して許されない。ただ暴走していく気持ちを止めるすべもなく、ポップはどんどんリウに近づき、彼女の中にあるデューを探してしまうのだった。

同性愛から異性愛へ、形を変えた恋愛はそれぞれに時代とお互いの立場の違いという障害により、どうしても素直に「好き」だと言えない関係になってしまう。

惹かれあい、その度に障害に阻まれる関係。

ただ、2人にはわかる。

もう一度生まれ変わったとしても、絶対にお互いを見つけられる。

この感情が一気に爆発するのがラストシーン。恋に堕ち、絶望した2人が再び生まれ変わる時、今度はどんな姿になっているのだろうか。期待と希望を残し、映画は終わる。

韓国版との違い

倫理的に、とか、親と子の関係性、などということを考えると複雑な心境が湧いてしまうストーリーなのだけれど、ファンタジー要素に性自認というテーマを絡め、非常によくできたラブストーリーになっている。

知らずにラストのシーンは涙が出てきてしまった。最初は少し共感できない部分もあり、入り込めずに映画館の椅子に座っている感覚ばかりしていたけれど、途中から一気に引き込まれ、没頭した。

もうほとんどの劇場が公開を終えているだろうけれど、もしスクリーンで観る機会があれば是非ラストシーンは大きな画面で体感して欲しい。

ベースとなった韓国映画は、男女で出会い、男同士で再会するという展開らしく、この物語とは真逆だ。故にストーリー運びには賛否ありそうだけれど、障害のある恋、という点ではこちらの物語にも充分説得力があったと思う。しかも惹かれあったのが、まだ理解が得られなかった時代だということがより切なさを煽る。

もう少し先、2人が再び出会ったのであれば、もしかして今度こそオープンな恋愛をやり直せるのかもしれない。男であろうと、女であろうと、どんな家庭に育とうと、同じ時代の同世代で出会う、ということは恋愛においては重要な要素なのだ。

魅力的な俳優ばかり

学生時代のデューを演じたのは、見た目のスマートさと高い演技力が定評のあるOhmくん(人気タイドラマ「The Shipper」に出演)

実は、出会いのシーンでデューからポップに好意を寄せたような描き方がされていたけれど、ここが没頭できなかった理由の一つ。デューは転校生だけれどすぐに周囲と打ち解けている(そしてご覧の通りのルックス)。キラキラして見えたので、ポップがとても平凡に見えて、もう少しこの辺りのキャラクターに陰影があると良かったなと思う。

ポップは女を養っているというプライドにふんぞり返っているような父親を持っていて、食卓の風景にそれが表れているのだけれど、そこに居心地の悪さを抱えているポップがひたすら大人しく、鬱屈した部分があまり感じられなかったのが残念だった。

明るくて天真爛漫に見えるが、転校ばかりの日々にやや居場所を失っているデュー。厳格な家に育ち、母親がいつも虐げられているのを見て嫌気がさしているポップ。この陰陽がもっとはっきり出てくれれば、デューがポップに共感しつつ惹かれていくのがすんなり入ってきたかなと思う。

ポップを演じているのも、「バッド・ジーニアス」という映画化もされた人気作品のドラマ版に出演、と魅力あるキャスティングがされているので、もう少し学生時代の恋愛を丁寧に見たかったなというのが印象。

ただし、大人になったポップは長身に長い足、ちょっと情けない顔も見せるいい男になっていた。このキャスティングは素晴らしい。

↓写真右端の方。飛び抜けて背が高い。お隣は理解のある美しいポップのパートナーを演じられた方。笑顔がチャーミング。

出演者の方たちの高い演技力も必見。

見る人によって変わる世界観

これを観た人に話を伺うと、ラストの解釈から前世、今世のラブストーリーの印象まで全く別の視点が得られたりする。

言い換えればその分、余白の多い作品とも言える。

宗教観や文化の違い、さまざまな理由はあるとは思うけれど、個人としては生まれ変わりや、来世で結ばれようというストーリーは日本においても古典的なラブストーリーとして存在する。
そのあたりに抵抗がなければ、すんなりと入れるかもしれないが、そうでない人にとってはもしかして途中、引っかかるポイントがいくつかあるかもしれない。

それがあるかないかで、観賞後の良し悪しは別れるかもしれない。そんな違いすらも楽しみつつ、語り合うのも良いと思う。

ちなみに私も読後感を伝える場があったけれど、いろんな人の意見も聞きつつ、興味深く作品を捉えることができた。

もし観た人同士語れる場があれば、盛り上がるタイプの余白多き作品だろうと思う。

ちなみに

Ohmくんの高い演技力にマイッた方にオススメなのがタイのドラマ。

ちなみに出演作は↓

もう一つの代表作。BL作品だけれどそれ以上の要素がてんこ盛りでおすすめ!なのはこちら↓


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