"ハーフ" 自分との対話

私の周りには何人か"ハーフと呼ばれる人"がいる。

小さい頃から"外国につながる子ども"や、外国人ハーフが珍しくない環境で育ったし、自分自身、様々な文化の間で育った。
その中で、ハーフ、ミックス、ダブル、混血、合いの子等々、様々な呼び方を耳にして来た。

人によっては、ハーフと呼ばれたくない人、混血っていう言葉も嫌い、ミックスは動物みたいで嫌だ、自分は2倍じゃないし、などなどいろんな声を耳にしてきた。

お父さんはどこの国の人、お母さんはどこの国の人、そんな風に紹介されるのが、一番自然でしっくりくると言った人にも出会った。

私自身は、単純な事実として混血と言われるのがいい。ミックスでもいい。
ハーフやクオーター、ダブル、ワンエースだと、自分は数字として見られているような気がして、血の濃さでジャッジされている気がして、すごく嫌だからだ。(自分の中の、どの遺伝子が強く出ているのか私にはわからないし)。

実際に何度もハーフの立場の人たちからも、"純日本人"の人たちからも、所詮〜の癖に、〜程度でしょ等(〜の部分には、それぞれ好きな言葉を入れて下ささい)ほとんど日本人でしょ、など心ない言葉をぶつけられている。
偽混血、ハーフになりたい、憧れている、外人ぶってる、外国かぶれ、外国人になりたい人など山ほどある。私は自分から、一言も私はハーフといったことは無いのに。

上に書いたような残酷な言葉を私にぶつけたのは、自分自身が差別を受ける当時者であるのにもかかわらず、人権活動や、多文化共生運動をやっていた人たちや、現在も続けている人たちもいることを強調したい。


今思えば、彼らの言葉は、差別を受ける人間が抱く劣等感から来る奇妙な優越感が原因だったのだと思う。
その当時全盛期だったSNSの混血系グループでは、ハーフが一番偉かった。なぜだかわからないけど。

詳しくは忘れたが、何かの論文か記事で、差別を受ける人間が持つ奇妙な優越感について読んだことがある。

もちろん、"純日本人"からの言葉はもあって、おそらくそちらは、無知が原因で悪意は無い。傷ついた事は同じだが。

まあ誰がどう言おうと、私が何らかの混血であることは間違いないし、そんな事はもうどうでもいい。
どこの国の血が何パーセント流れているとか、どこで育ったとか、母語がなんだとか、それで私の価値が決まるわけでもない。

日本語も英語も中途半端だとか、しょっちゅう言葉と言葉が混じっているとか、そんな事もも含めて私だからだ。

私を構成しているものは、単純に血液だけでなく、言語や文化でもある。
そしてそれらこそ、私という人間を構成する重要なファクターなのだ。

話は戻る。

一時期ハーフは差別用語としての認識が広がり、出来る限り使わないようにしようと言う流れがあったのだが、いつの間にか、また定着してしまい、残念ながら、

1種のアイコン、偶像としてのアイドル(英語のアイドルには偶像と言う意味もある) 。安っぽいキャッチコピーにまでなってしまった。

ハーフという言葉を再度広げたのは、某有名ハーフ女性評論家や、(彼女は殆どそのことについてしか話していないし、持論を否定されると逆上する。身内に優しく、外部の人間には極端に厳しい *個人の感想です)。
彼女と似たような考えを持つ人達に、大きな責任があると思っている。

もちろん、日本のような単一性や、統一性を尊ぶ閉鎖的な島国で、ハーフや混血、外国人の受ける差別や偏見を世に広めた功績は素直に認めるし、否定もしない。だって事実だから。

しかし同時に、"ハーフ呼び"をまた復活させ、苦しむ人を増やしたのも、また事実だ。

様々なところで、その評論家は、日本人や日本社会を批判しているが、
ハーフメイク、ハーフ顔、外国人風ヘア、と言った言葉を多用する大手出版社や、ウェブメディアに、彼女が公開質問状を提出したり、公の場で出版社や雑誌名を出して批判している事は、私が知る限り見たこと、聞いた事もない。(知ってる人がいたら、教えてください。認識を改めます)。

彼女は外国人、最初はヨーロッパのとある国出身の外国人としてテレビに出ていた。(主に絶叫系タレントとして)。

そしていつの間にか、日本に住むハーフの代表のようになっていった。
何故かはわからないが、自分の出身国を過剰に美化し、日本はダメ、ハーフにとって苦しい国、欧米に比べて差別が多いなど、偏った発言が見られるようになった。

日本人の中にある大部コンプレックスを刺激するような本が、一時期大量に売れたが(若い子はマークス寿美子とか知らないよね)。

でもね、そのやり方もう古いよ…

hafuという映画が公開され、Amazon Primeで配信されている。
私はそれを見て、やっとここまできたか、と思うと同時に、様々な事情で顔や名前を出せない人、また、出したくない人、日本人としてのアイデンティティーを選んだ人たちのことを思い浮かべ、とても複雑な気持ちになった。これは言葉ではとても言い表せない。

多様性とは、そういう人も含めて受け止めていくものだと私は思う。
一部の発言力のある人たちの声だけでなく、声なき声を受け止め、できる限り多くの視点から人や物事を見て、傷つく人をひとりでも少なくすること。

マイノリティー同士のナンセンスなマウンティングをいい加減終わらせること。

そして自分が誰かを傷つけたら、素直に謝ることのできる社会、それが寛容な社会だと思う。

彼女がハーフであることを利用して金儲けをしていても、更に知名度を上げようと、それ自体は私には一切関係ないし、もうどうでもいい。

しかし彼女の活動によって、ある一定の偏見や、レッテルが一人歩きしている事も事実だ。著名人になること、影響力を持つと言う事はそういうことだ。

そこと向き合えなければ、例え属性が同じでも、多くの人からは支持を受けられないし、せっかく成功させた活動も、逆効果になる。

自分の考え方とは違う人もいれば、批判をしてくる人もいる。自分が気に食わない意見も多様性の1つだ。

世の中には本当に色んな人がいて、多様性が理解できない人や、差別的な言動をする人もいる。

悪意なく偏見をぶつけてくる人もいる。

しかし、そこで相手をレイシスト、「あなたがしている事は差別です!」と言ってしまうと、相手は戸惑う。追い詰めてしまう。

だからこそ私は、常に対話を大切にしているし、とても難しいことだが、誰かを傷つけてしまったら、タイミングを見て出来る限り早めに謝るようにしている。

たくさんの失敗を通して、相手の立場を考えつつ、自分の主張を通していく、そういうことができるようになった。(私はどうやら学ぶことをやめなかったらしい)。

おかげでまだまだ語り手や、物書きとしては、知名度は低いものの、慶応大学で、ゲストスピーカーまでさせていただいた。N先生、その節は大変お世話になりました!(私にとっては、本当にすごく大きなチャレンジで、受けるかどうか最後まで迷った。それでも先生の応援があって、ポジティブなフィードバックを学生さんたちからもらえ、心の底からやって良かったと思う。チャンスがあればまたやりたい)。

最近は、発達障害以外の分野でも、発信ができるようになった。おかげで自分自身を何か1つの属性に閉じ込めるのではなく、もっと広い視点から見ることができるようになった。

願わくば他のマイノリティーの人にも、そういったチャンスが巡ってくるように、願わずにはいられない。

何かと属性分けが昨今だが、そんなもの全部とっぱらっても、あなたはあなたです。

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