ジョアシャン・デュ・ベレー「幸いなるかな オデュッセウスのように……」(フランス詩を訳してみる 3)

久しぶりに心に触れる詩を見つけた、と言ったら、いつも訳している詩はなんなんだということになりそうだけれど、直接的に心に訴えかけてくるものの強さの違いというものはあって、いわば頭よりも先に心にくる詩は、ぼくにとって、そう多くはない。

前回のアイヒェンドルフの詩

では、イタリアへの憧れを歌っていたが、ジョアシャン・デュ・ベレー (Joachim du Bellay, 1522-1560) の今回の詩は、フランス人の作者がイタリアにいるときに、故郷を思って歌ったもの。その名も『愛惜詩集』(Regrets, 1558) という詩集に収められているソネのひとつだ。

Heureux qui, comme Ulysse, a fait un beau voyage,
Ou comme cestuy là qui conquit la toison,
Et puis est retourné, plein d’usage et raison,
Vivre entre ses parents le reste de son aage !

Quand revoirray-je, helas, de mon petit village
Fumer la cheminee : et en quelle saison
Revoirray-je le clos de ma pauvre maison,
Qui m’est une province, et beaucoup d’avantage ?

Plus me plaist le sejour qu’ont basty mes ayeux,
Que des palais Romains le front audacieux :
Plus que le marbre dur me plaist l’ardoise fine,

Plus mon Loyre Gaulois, que le Tybre Latin,
Plus mon petit Lyré, que le mont Palatin,
Et plus que l’air marin la douceur Angevine.
幸いなるかな オデュッセウスのように
また かの金羊毛を勝ち取った勇者のように 良い旅をし
しかる後に 経験と知恵をたずさえて故郷に帰り
両親のもとで余生を送る者。

ああ いつになったらまた見られよう 私の小さな村の
煙突から煙が昇るのを? どの季節になったら
また見られよう つつましいわが家の庭を?
私にとっては一国にも値する いやはるかに勝るわが家を?

ローマの宮殿の立派なファサードより
先祖が建てた住まいの方が 私にはいい、
堅牢な大理石より きゃしゃな粘板岩がいい。

ラテンのテヴェレ川より わがガリアなるロワール川、
パラティヌスの丘より わがささやかなるリレ村、
地中海の潮風より アンジューののどけさがいい。

(入沢康夫・井上究一郎・田中聰子・松浪未知世・山下利枝の訳を参考にした。)

2行目はギリシャ神話のイアーソーンのこと、13行目のリレ村は作者の出身地だという。

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ジョルジュ・ブラッサンスに Heureux qui comme Ulysse という曲(1970年)がある(ただし歌詞の大半はデュ・ベレーの詩によるものではない)。

また、2007年に、リダン (Ridan) というアルジェリア系フランス人のシンガーソングライターがこの詩に歌をつけた Ulysse という曲がヒットしたようだ。

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並べて読みたい日本の詩として、室生犀星の有名な「小景異情その二」を挙げておこう。

ふるさとは遠きにありて思ふもの
そして悲しくうたふもの
よしや
うらぶれて異土の乞食〔かたゐ〕となるとても
帰るところにあるまじや
ひとり都のゆふぐれに
ふるさとおもひ涙ぐむ
そのこころもて
遠きみやこにかへらばや
遠きみやこにかへらばや

構造としてはアイヒェンドルフよりもデュ・ベレーよりも複雑で、語り手は今「ふるさと」にいて、「遠きみやこ」で望郷したいと願っている。

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(2020.3.16追記)ドビュッシーの友人アンドレ・カプレ(André Caplet, 1878-1925)による歌曲「いつになったらまた見られよう」(Quand reverrai-je, hélas!, 1916年)[楽譜]がある。


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