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1.観光とは。何か。少し考えてみた。

旅行とは贅沢である。

これは私が旅行へ行く際に、必ず念頭に置いていることの一つです。

旅行というのは当然、旅へ行くことです。

私自身もそうですが、皆さんも旅行をする際に、中でも軸となるのは、やはり観光ではないでしょうか。

私はこの観光という言葉についてよく考えます。

観光という字は見ての如く、光を観ることです。

光を観ることとは、その国や土地の栄えている部分、良い所や強く惹かれる部分を光とし、それを目で観て感じとることだという風に捉えています。

例えば、ロンドンのどこまでも続く大都会、パリの洗礼された街並み、ニューヨークの高層ビル群やエルサレムの混沌とした街並み、ハノイの大通りなど、それは、その国の良いところであれば、何でも良いと思います。

簡単に言えば、その場所というものを、現在進行形のものから、過去のものまでを問わず肌で感じて、そこから何か学びとることが観光なのだと考えます。

しかし、ながら近年、例えばフランスへ観光に行くと言うと、やはり「遊びに行く」といった意味での解釈をされ、非難される傾向にあるように思えます。

例をあげるのであれば、あなが仮に会社員だとして、会社を休んで有給を取得する際、その理由が上司などに旅行で観光に行くことだとわかれば、首を縦にふらなかったり、嫌味を言う人が出てきたりすることでしょうか。

私も似たような経験をしたことがあり、それらをとても残念だなといった風に思います。

何故なら、観光をすることにより、今まで経験をしたことがないような空気に触れることができたり、それにより何か感銘を受け、刺激を得たり、それが今後、自身の人生において、何かに生かされたりすることが大いに期待できるからです。

私自身もそういった経験がありました。

しかし、その上司などの人々が嫌な顔をしたり、非難をする理由も私には少なかれ理解できます。

何故なら、その上司は会社という決まった団体に属しており、会社というものは新たなアイデアなどを得て活性化していくものではあるのですが、会社は団体である為、そこに属するものは、同じ方向を向いていかなくてはならないからです。

よって、その新たなアイデアというものは、とある井の中から採取した水「だけ」から感じたことから作り出すものであって、そこに異物が入り込むということは、井戸の水が汚れてしまい、不都合だからです。

それは例えば田舎や学校など、小さなコミュニティにおいても同じことだと思います。

残念なことではありますが、一方で団体を守る為には、やむを得ない事情だとも理解できます。

もちろん、全ての企業や団体がそうでなこともありますが、世界や日本国内においても、その風潮を持つ団体は未だに存在していることはやはり事実です。

ですが、旅行へ行き観光をする行為は、前述のとおり、のちに自身の何かを刺激をすることが多いです。

刺激になったものは、今後の人生や、あらゆる場面において、大きな財産になると思います。

あなた自身に対して、財産を得る為の行為に非難する人というのは、どこに行っても絶えないものですが、光を観て得た大きな財産は誰も経験したことのない、あなただけのものになります。

よって、あなたを作るアイデンティティーの1つとして観光をすることは何よりも贅沢なのであり、それは決して「遊びに行く」ことではなく、自身が成長していく上でとても重要なことであると私は考えます。

旅行は何もお金をかけて遠くに行くことだけではありません。

例えば、あなたが住んでいる場所から、少し離れた街を歩いてみるだけでも立派な旅行です。

もし、これを読んでくださったあなたが、何かに疲れたり悩んでいるのであれば、この先、あなただけのとびきりの旅行。そう、贅沢をしてみるというのはいかがでしょうか。

それをこの先のお楽しみに。

(2020.4.18)

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