見出し画像

仏像のつくりかた



仏像のつくりかたを見てみましょう。
木造や金銅像、石像など、仏像にもいろいろな素材でつくられています。

乾漆像

最初につくられたのは、塑像です。粘土でつくった仏像。

最初につくられたのは、どうやら塑像だったようです。
塑像とは、粘土でつくった仏像のこと。
木と縄で芯をつくって、芯にペタペタと粘土を貼り付けていって、つくります。
粘土なのでかなり細かな造形ができます。しかも制作コストが安い。着色もしやすい。
ただし粘土なのでもろい。時間が経つと、ボロボロと崩れてきます。
なので、奈良時代につくられて以降、あまり制作されなくなった技法です。
代表的なのが、新薬師寺の十二神将像。
これは伐折羅(バザラ)大将ですが、できた当時は着色されてました。これが、着色した伐折羅(バザラ)大将。
実際に新薬師寺でフィギュアがつくられて、今はポストカードになったものが売られています。

制作されたばかりの仏像は、このように着色されているものが多い。

脱活乾漆像

脱活乾漆像の代表例は興福寺にいらっしゃる阿修羅像。

次が脱活乾漆像。
木材で芯をつくり、その上に粘土で簡単なかたちをつくり、さらにその上に漆を塗った布を何枚も重ねていきます。
そうやって外側の造形ができたら、芯と粘土を下から抜き取ります。
紙を固めてつくったお面みたいなかんじですね。張子の虎を思い浮かべてください。「脱活」というのは、内部が空洞という意味です。「乾漆」は漆が乾いて固くなったという意味。
とにかく軽いのだけど、やっぱ壊れやすいみたいです。それに漆をたくさん使うので、これまた高価です。
代表的なのが、みんな大好き、興福寺の阿修羅像です。昨今の仏像ブームの火付け役となった仏像ですが、この阿修羅がじつは張子の虎並みに軽いというのは案外知られてないように思います。

ここでようやく木でできた仏像、木像が登場します。
仏像といえば、一般的には木像もしくは金剛仏です。
奈良の大安寺の十一面観音菩薩さん。一本の木を彫ってつくられた一木造の仏像です。
木の歪みがそのまま表現されていて、菩薩さんが少しねじれているかんじがします。

円空仏(一木造)


奈良の大安寺の十一面観音や円空仏など、一木造の仏像は木の歪みがそのまま表現されている

先日、ハルカス美術館で円空仏の展示会をやってました。
円空仏は分かりやすいですね。不自然に、奇妙に、アンバランスに、ユーモラスに歪んでいます。素材である木の造形、フォルムに寄り添って仏像を彫るから、どうしても「ゆがみ」が発生します。シンメトリーにならない。黄金比やアルカイック・スマイルにはならない。人工的な造形美の、対極にあります。
この「ゆがみ」は、しかし、やさしいですね。それは木の遍歴であり、成長であり、感情ですらあり、生命そのものでもあります。だから、やさしい。その木の特性や特徴を最大限に生かす円空仏の「ゆがみ」は、そうした意味で「自然」そのものと言えます。木も年月を経ると、自然のままに仏さんになります。円空さんは、木に宿った仏さん、仏性をそのまま取り出しただけだと思います。「山川草木悉皆成仏」(さんせんそうもくしっかいじょうぶつ)の日本人の霊性をこれほど見事に表した仏師は、他にいないのではないかとすら思います。

木に宿った仏性がそのまま彫り出されたような一木造の円空仏

定朝が発明した寄木造

寄木造は、先ほどの平等院鳳凰堂の阿弥陀如来で説明した通りです。定朝という仏師が発明した、先にパーツをつくって組み立てる製法です。
これにより、一人の仏師が最初から最後までつくるのではなく、複数の人たちで作業を分担してつくることができるようになったので、生産性が上がりました。仏像制作業界における、家内制手工業の誕生です。
また、大きな仏像をつくることもできます。無垢の木を彫る一木造りはどうしても重くなるし、なによりも原木より大きな仏像はつくれません。

複数の人でつくる工房性の寄木造を確立させた定朝の代表作は平等院鳳凰堂の阿弥陀如来

金剛仏(金銅仏)の奈良の大仏

最後は奈良の大仏です。
この大仏さんは金剛仏(金銅仏)と呼ばれるものです。
まず、木材で骨組みをつくり、粘土で輪郭をつくり、原型をつくります。
原型の外周に粘土で鋳型をつくります。原型の外側にも一個原型のようなものをつくるわけです。これが鋳型。それをつくって、少し離して、隙間をつくります。
鋳型と原型の隙間に銅を流し込みます。
これを最初は下からつくっていって、少しずつ上をつくっていきます。
で、一番上まで行ったら土を崩して大仏が出現します。
最後に台座をつくって完成。
高さ14.98m、横幅20m、頭だけで5.33mと巨大な仏像です。
これが奈良の大仏です。

ちなみに1年に2回だけ、元旦と盂蘭盆の最終日の8月15日、大仏さんのお顔だけ拝める観想窓が開きます。

観想窓が開くと、大仏のお顔が現れる

創建当時の大仏殿は、今とは違う姿をしていました。
『東大寺縁起』に、こんな絵が残っています。
大仏さんの右脇侍(きょうじ)、こちらから見て左側には虚空蔵菩薩さんがいらっしゃいます。
虚空蔵菩薩は、虚空(広大な世界)にたとえられるほどの巨大な知恵と優しさを持った仏さんです。
左脇侍には如意輪観音菩薩。知恵も財運も思うがままに叶えてくれるという仏さんです。
四隅には四天王が。広目天、多聞天、増長天、持国天がいます。今は増長天と持国天の頭だけが残されています。
右上が手向山八幡宮、左上にお水取りで有名な二月堂が見えます。
大仏殿の左手後方に仏さんが見えます。平等院鳳凰堂であるものとおなじ、雲中供養菩薩です。大仏鋳造の折、功績のあった牛飼いの童と二十五人の鋳物師(いもじ)が、完成後、千手観音菩薩と二十五菩薩に姿を変え飛び立ったという説話が、この東大寺縁起に描かれています。

「東大寺縁起」の大仏開眼法要の図。大仏殿が今とは違うかたちをしています

以上が仏像制作におけるさまざまな工法です。
平安以降、木像が多いです。
サイズによって寄木造や一木造があります。

秋篠寺の伎芸天立像は脱活乾漆像と木造のハイブリッド

ちょっと変わったところでは、こんな仏像があります。
この方は奈良の秋篠寺にいらっしゃる伎芸天です。
東洋のミューズと呼ばれている、とても美しい仏さんです。
伎芸天はもともとはヒンドゥーの神さんで、シヴァ神が歌や舞を楽しんでいたとき、髪の生え際から突然生まれた天女だと伝えられています。姿が美しく楽器を奏でることに秀でていたとされ、芸事の神さんとして敬われています。
仏像になっている作例はなく、この秋篠寺にいらっしゃるだけです。ここにしかいらっしゃらない。
優雅でとても美しい仏さんで、僕は、この仏さんが一番好きです。ファンも多いです。

ところがこの仏像は少し変わっていて、首から上と身体が、それぞれ違う時期につくられています。
頭は脱活乾漆法でつくられ、首から下は木造です。鎌倉時代の運慶の作と言われています。
鎌倉時代の運慶によって、頭から胴体を想像して、つくられています。にもかかわらず、とても調和が取れていて、見事やと思います。
秋篠寺は苔の庭が息を呑むくらいに美しいお寺さんなので、ぜひ、機会があれば訪れてみてください。
ちょうど今からが、苔がとても瑞々しく美しくなる季節です。

東洋のミューズと謳われた秋篠寺の伎芸天
頭部は脱活乾漆法、首から下は木造

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?