見出し画像

Turning Point 音楽塾

芸能事務所でオペラの仕事がなんとか終了した時、
その事務所は、クラシックはもう懲り懲りという感じだった。

なんだかんだ3年くらい勤めたものの、
自分の居場所がこの会社には無くなった気がした。
そう思って、ある日
サントリーホールでこの業界のことを教えてくれた師匠にメールをした。

奇跡の電話

30分後、電話がなった。
元サントリーホールの支配人からだった。
彼は、サントリーホールを定年後、
サントリーのグループ会社にいて、鎌倉にあるホールの責任者をしていた。

「久しぶり。急な話だけど、助けて欲しい」

そう言われて、行かない訳にはいかない。

翌日に設定された面接を受け、事業担当として入社。

最初の担当

入社が決まってすぐに会社に呼ばれた。
前任が担当していた公演をすぐに引き継いで欲しいと。
なんと入社した週にある本番だったが、
入社前から担当してなんとか乗り切った。
小さな公演だったが、本当にやり切れるか心配だった。

日本語の第九

鎌倉では、全国でも珍しく、日本語で第九を年末にやっていた。
市民の合唱団を結成し、夏から練習。

市民との距離を縮めるのが大変だったし、
最初の年はアーティストに迷惑ばかりかけたけど、
異動の時にはプレゼントをもらえるまでになっていた。
今でもとても尊敬している方々。

小澤征爾

鎌倉時代の一番のエピソードは小澤征爾。
オペラ制作を通して若手音楽家の育成するプロジェクト。

ただ、プロジェクトには指揮者も歌手も若手が選抜されるものの、
本番の指揮者はもちろん小澤征爾。
歌手も一流アーティストだった。

本番のチャンスのない若手のために
そして、未来の聴衆のためにと、鎌倉で
若手のみの演奏会が実施されることになった。

合わせて、
行きたくても行けない方々へも音楽をと
障がい者施設でのアウトリーチ
未来の聴衆のための
公開リハーサル
なども実施。

今でも初年度の本番で聴いた
カルメン序曲の第一音に鳥肌が立ったのを忘れることができない。

本番終わりに小澤征爾さんが
私の前で、「これがやりたかったんだよ。ありがとう」
と言ってくれたことは、
一担当者ではあったけど、忘れない一言だった。

公開リハーサルの後、
なぜか子供たちにサインをせがまれたのは、
今でもなぜかはわからない。

この頃は、まだまだ未熟だったけど、
良い仲間と同じ方向を向きながら、
苦も楽も共にした貴重な時期だった。
今でも自分が社会人として担当した公演の中では、
良い公演ばかりだったけど、
小澤征爾音楽塾は、自分にとって一番やりがいを感じた公演だった。

昨日(9/1)は、小澤征爾さんの誕生日。ふと昔の事を思い出した。


#オペラ #鎌倉 #プロジェクト #第九 #小澤征爾  

よろしければ、ぜひサポートを!! サポートは執筆の活力!! より良い記事作成に役立てます!!