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悔しさが生まれる原因・対処法
【 自己紹介 】
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このブログでは、2019年7月にうつ病を発症し、それをきっかけに同年12月からブログを始めて、それ以降、700日以上毎日ブログ更新してきた、しがないサラリーマン弁護士である僕が、日々考えていることを綴っています。
毎日ご覧くださってありがとうございます。本当に励みになっています。
【 今日のトピック:悔しい 】
つい最近、仕事で失敗しました。
目的がはっきりしないまま、なんとなく仕事を進めてしまいました。
悪い方向に向かった場合を想定せず、なんとなく、言われるがままやってしまいました。
うーん、完全に失敗しました。僕のせいです。法律のプロとして情けないです。
事前に防げたはずなのに、防げませんでした。
このように仕事で失敗した場合、過去を悔いるのは完全にムダです。
どれだけ悔やんでも、失敗した過去は消えないからです。
そうすると、失敗した過去を悔やむのではなく、失敗したことを前提に、これからどうするかを考えたほうが合理的です。
ここで話を終えていいんですが、もう少し考えてみました。
過去を悔いるのムダで非合理的であるのならば、最初から、過去を悔いなくて済むように脳が設計されているはずです。
過去を悔いるのがムダで非合理的ならば、ホモサピエンスがこの世に誕生して以降、進化の過程で、過去を悔いる脳の仕組みは淘汰されたはずです。
弱肉強食の世界は非常に残酷で、環境に適さない個体は、子孫を残せずに死に絶えます。その結果、環境に適した個体だけが残るわけですが、そうであるとすると、「過去の失敗を悔いる」のは、環境に適していることを示しています。
「失敗した過去を悔いる」というのは、結構一般的に見られているホモサピエンスの習性です。そうすると、「過去を悔いる」個体は厳しい環境に適していて、その結果、この特質が、現代にまで受け継がれてきたことになります。
うーん、「過去の失敗を悔やむ」は、どうして進化の過程で受け継がれてきたんでしょうか。
「過去の失敗を悔やむ」という脳の構造が受け継がれきた理由にこそ、「過去の失敗を悔やむ」というムダを回避するためのヒントが隠されている気がするんですが、どうも思い浮かびません・・・。
「悔やむ」というのは、非常にマイナスな気持ちです。ストレートに言えば、「悪い気分」です。
こういった悪い気分を味わうことで、「もう二度と失敗したくない」という感情を抱かせる、という意味を見出すこともできますが、しかし、「もう二度と失敗したくない」と思うよりも、失敗した原因を冷静に分析し、今後の対処法を考えたほうが、将来の失敗確率は減少します。
だから、「悔やむ」という感情が全面に来てしまうと、結局、冷静に失敗と対処法を分析できないので、将来の失敗確率は上昇してしまいます。
だから、「悔やむ」という気持ちは合理的じゃないと思うんですが、でも、「悔やむ」は感情なので、理性よりもめちゃくちゃ早い段階で脳にインプットされた仕組みです。
うーん、「悔やむ」というシステムは、進化の過程でどのように役立ったんでしょうか・・・・。
おそらく、世界のどこかで誰かがこの疑問に対する結論を出していると思うんですが、検索してすぐには出てこなかったので自分なりに考えてみました。
「あのときああしておけばよかった」「そうすれば、失敗しなかったのに」という感情が「悔しい」ですが、この感情を抱くと、めちゃくちゃウジウジしたくなります。
で、ウジウジしていると、誰かが声をかけてくれたり、あるいは、自分から誰かに悔しさを吐露すると、「過去は変えられないよ」「これからどうするかだよ」と励ましてくれることが想定されます。
そうやって励ましてもらえると、「自分は悪くないんだ」と、自分を肯定することができます。「確かに。悔やんでもしょうがない。これからどうするかだ」と、自分を認めることができます。
交換ガルと、「悔しい」気持ちって、コミュニケーションのきっかけになりやすいです。ウジウジした気持ちを自分だけでは抱え込めずに誰かに話したり、ウジウジを察知してくれた誰かに話しかけてもらったりすると、コミュニケーションが始まります。
悔しい気持ちがきっかけになって生まれたコミュニケーションによって、コミュニティの絆が深まり、そのコミュニティが少し強くなります。
こういう理由で、「悔しい」という気持ちが受け継がれてきたのかもしれません。
自分で書いていて、あんまり説得力があるとは思いませんでしたが、もし、僕の考えが正解だとすると、「悔しい」=「かまってちゃん」ということになります笑。
ただただ、誰かに自分の気持ちを話したい、あるいは、誰かに自分の気持ちに気づいてほしい、という「かまってちゃん」が、「悔しい」の正体なのかもしれません。
人類は皆、徹底的に社会的な動物なので、人類皆「かまってちゃん」と言ってもいいのかもしれません。コミュニティに属さないと生きていけないのが人類で、誰かとのつながりを本能的に求めてしまいます。
そうだとすれば、「悔しい」という気持ちを抱くことで、誰かに「かまう」口実を作り出しているのかもしれません。
うーん、なんかこの分析は間違っている気がするんですが、まあ、仕事上の失敗で悔しさに襲われている僕にとっては、非常に好都合な分析です。
というのも、「悔しい」という気持ちなんて、ただの「かまってちゃん」でしかないのですから、さっさと切り捨てようと思えるからです。
ただ、最後に付け加えておきたいことがあって、こういった冷静な分析は、心身ともに元気だからこそ可能なんです。元気がないと、「悔しい」について分析するパワーが残されておらず、どんどんネガティブになってしまいます。
悔しさがなかなか消えないのなら、それは自分が悪いのではなく、身体が疲れすぎていることが悪いんだと思います。
体が疲れすぎているのなら、思い切って2年くらい休んでみるといいですよ。2年くらい休んでも、どうにかなります(経験談)。
元気があれば、「悔しさなんてかまってちゃん」と冷静に対処できます。
僕も、幸いなことに元気なので、「悔しさなんてかまってちゃん」と思って、悔しさを切り捨てます。
それではまた明日!・・・↓
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