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遺言を残そうと思ったら-4(遺言は残さないほうがいいかもしれません)

【 自己紹介 】

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このブログでは、弁護士である僕が、もし仮に自分が紛争・トラブルの「当事者」となった場合に、「自分だったこうするだろうな」ということをお伝えしてしています。

僕自身、これまでの人生で大きな紛争・トラブルの当事者となったことがなく、今この瞬間、紛争・トラブルに直面されている方の苦しみや不安を代弁できるような立場にはないのかもしれません。

ただ、自分が紛争の当事者となった際の対処法を弁護士目線でお伝えできれば、それが、ご覧になった皆様のお役に立てるかもしれないと考えています。

あくまで、「僕だったらこうするだろうな」ということですから、ご覧になっている方々に必ずしも当てはまらないとは思いますが、僕のやり方をヒントに、自分なりに応用していただけたら、とても嬉しいです。

ご覧になっている皆様のお顔も名前も残念ながら知ることができませんが、アクセスしてくださり、ありがとうございます。本当に励みになっています。

【 今日のトピック:遺言を残す 】

今日も引き続き遺言について書いていきます。

さて、昨日は、遺言を残す理由について書きました。

そもそも、遺言を残さなくても、自分の財産は、相続人の誰かが引き継いでくれます。

相続人が誰もいなくても、相続財産管理人が選任されて、その人が死んだ人の代わりに遺産を全て献上してくれます。

(もちろん、相続財産管理人の報酬は差し引かれますが)

だから、遺言を残さなくても、何の心配もいりません。

「遺言を残しておかないと、自分の財産を誰も引き継いでくれない」なんてことはありません。

必ず誰かが引き継ぎます。

誰も引き継がなくても(相続人が最初からいなかったり、相続人全員が相続放棄したりして、相続人がゼロの場合でも)、最終的には国が遺産を引き取ることになっています。

(ただ、国が遺産を引き取るためには、相続財産管理人を選任することが必要で、その選任には、相続財産管理人の報酬として、数十万円単位のお金が必要になってきます。僕も、最近相続財産管理人を申し立てましたが、予納金として約50万円を支払わされました。これだけのお金を払ってでも相続財産管理人を申し立てようとするのは、例えば、借主が死んでしまった大家さんとか、自動車を放置されたまま駐車場を返してもらっていない駐車場の大家さんなどだと思います。相続人がゼロで相続財産管理人が選任されないまま放置されると、その人の遺産は、誰も引き継がないまま放置されることになります。だから、「遺産は必ず誰かが引き継ぐ」というのは、自分で書いておきながら正確ではありません。)

結局、遺言を残さなくてもいいんです。

遺言を残さなくても、誰かが遺産を引き継ぎます。その遺産をめぐって紛争になるかもしれませんが、当の自分は既に死んでしまっていますから、その紛争に巻き込まれる心配はありません。

遺言を残したとしても、遺言は、「死んだ後の」財産の分配を決めるので、死ぬまでは自分の財産のままで変わりません。

死ぬまでは自分の財産のままの状態で、自分が死んで初めて、所有権が移転します。これが遺言です。

だから、結局、遺言を残す必要って、基本的にはないのかなあと思います。

昨日も、「財産を引き継いでほしい人がいるのなら、遺言を残したほうがいい」という風に書きました。

ただ、その後考えたことがあって、それは、遺言を書いて死ぬまでの間に状況が変わる可能性がある、ということです。

当たり前ですが、遺言は、死ぬ前に書きます。

死んだ後に遺言を残せたら便利だなーと思うことが本当に多いんですが、残念ながら、それは不可能です。

死ぬ前にしか、死んだ後の財産の分配を決めることはできないのです。

そうすると、遺言から死ぬまでに必ずタイムラグが発生します。そのタイムラグの間に、状況が変わる可能性は当然あります。

遺言を残す前提となった状況が変わってしまう可能性があるわけです。

例えば、長男の世話になっていたから、それを前提に「長男に全ての遺産を相続させる」という遺言を書いていたけれども、遺言を書いた後、長男が全然面倒を見なくなるかもしれません。

そうすると、「長男に全ての遺産を相続させる」という遺言を書く前提となる状況は変わっているのに、遺言だけが残ってしまっています。

状況が変わろうが、遺言は遺言として有効です。その結果、自分の意図しない遺言だけが残ってしまう可能性があります。

「状況が変わったら、また遺言を書き換えればいいじゃん」なんて思う人もいるでしょう。

しかし、それは自分を過信しています。というのも、自分は、どんどんどんどん年をとっていくんです。

だんだん体力も脳の機能も低下して、遺言を書くハードルも知らずしらずのうちに上がっていきます。

認知症になる可能性もあります。認知症になって、自分が何を考えているかすらわからなくなってしまうかもしれません。

そうなったら、遺言を書き換えるなんてできません。

過去に書いた遺言を書き換えることができるだけの能力が、これから先もずっとキープされるなんていうのは幻想です。

遺言を書いた後、それを書き換えることができないまま亡くなってしまえば、遺言を書いた当時とは状況が変化していたとしても、遺言は遺言として有効です。

残念ながら。

こう考えると、遺言を書くのって、よっぽどのことなのかもしれません。

自分がいつ死ぬかをあらかじめ知ることはできないと昨日書きましたが、自分がいつ死ぬかわからないので、自分が死んだ時と遺言を残した時でどれくらい状況が変化するのかも予測できません。

明日死ぬとあらかじめわかっていれば、そんなに状況は変化しないでしょうから、今日の状況を踏まえて遺言を残せばいいでしょうが、実際には、いつ死ぬかわかりません。

そうすると、今日の状況を踏まえて遺言を書いたとしても、死ぬまでにその状況が変化してしまい、最終的には、自分が残したくない遺言が残ってしまうという結果になりかねません。

これに対し、遺言を残していない場合は、死んだ時点の状況を踏まえて、相続人が分配を決めることになります。

例えば、相続人が子ども3人(長男、長女、二女)で、高齢になった父親を長男がずっと面倒を見てきたのであれば、それを踏まえて、長男によりたくさんの遺産を配分することができます。

しかし、例えば、子ども3人のうち、最初は長男が面倒を見ていて、それを踏まえて長男にたくさん遺産を配分するという遺言を残した後、長男が面倒を見なくなり、その結果、二女が面倒を見るようになったものの、遺言を書き換えることなく父親は亡くなってしまうと、二女が面倒を見てきたことは考慮できないまま、遺言のとおり、長男にたくさんの遺産を配分することになってしまいます。

これは、本当に父親の意図したことなのでしょうか?

死ぬまで何が起きるかわかりません。にもかかわらず、遺言は死ぬ前に作らなきゃいけません。

こういう意味で、遺言は、書いた後に起きたことに対応できないという欠点があるようにも思えます。

そうすると、僕は、「遺言は残したほうがいい」と書きましたが、「遺言は残さないほうがいい」という風にも思えてきました。

そもそも、遺言を残す理由は、たいていの場合、法律どおりの相続分ではイヤだからです。

法律どおりの相続分でいいのなら、わざわざ遺言を残す必要はありません。

法律どおりの相続分ではイヤだから、それを誰かに有利に(その反作用として誰かにとっては不利に)修正するのが、遺言の役割です。

しかし、その修正の前提となる状況(長男が面倒を見てきたとか、あるいは、長女が一切面倒を見ないとか)は、死ぬまでに変わる可能性があるわけです。

うーん、こう考えると、僕だったら、遺言を残すかどうか悩みどころです。

遺言を残す前提となる状況が、これから死ぬまでの間に変わったり、新たな事情が追加されることによって遺言を残した理由が覆されたりすることがあり得るのであれば、遺言を残すのはためらわれます。

そして、一寸先は闇で1秒先の未来すら予測できませんから、ほとんどの場合、遺言の前提となる現状が変化する可能性は否定できません。

単純に、「長男に全部渡したい」という感じで、「長男」という属性に着目しているのであれば、この状況が変化することはないので、遺言を残していいと思いますが、そうではない限り、遺言は残さないほうがいいのかもしれません。

遺言を残したとしても、「遺留分」という権利は残るので、紛争を完全に回避することはできません。

子どもがおらず、親も既に死んでいれば、兄弟姉妹が相続人となりますが、兄弟姉妹に遺留分はないので、この場合は、遺言によって紛争は完全にシャットアウトできます。

しかし、子がいる場合は、遺産がもらえなかった子に遺留分が残ります。そうすると、むしろ、遺言によって紛争が引き起こされかねません。

遺言によって相続分が減らされた相続人は良い気はしませんからね。

僕も、遺言による紛争を何度も経験しており、遺言によって紛争を回避できるという印象はありません。

遺言に紛争回避機能を期待できず、また、遺言の前提となった状況も死ぬまでに変わり得、結果的に、望まない遺言だけが残ってしまう可能性もあります。

そうすると、結局、「この遺言だけが残ってしまっても構わないな。少なくとも今日までの状況を考えると、この子にたくさんの遺産を配分してあげたいし」という覚悟がある場合に限り、遺言を残したほうがいいのでしょう。

死が近づくに連れて、自分の状況は思った以上に日々変化します。

「ああいう遺言を残したけど、やっぱり書き換えたいな」と思うこともあるでしょうし、認知症によって、そう思うことすらできなくなることも十分考えられます。

あえて遺言を残さずに、死ぬその瞬間までの出来事すべてを相続人たちに経験させた後に、その相続人たちの話し合いに期待するのも、一理あるような気がします。

相続人たちを信頼して、より多く遺産をもらうべき人にたくさん配分してもらうよう話し合ってもらってもいいかもしれません。

相続人たちの判断で、全員平等にもらったほうがいのなら、それがいいのかもしれません。

少なくとも、遺産分割協議をしている相続人たちは、遺言を残した自分とは違って、自分が死ぬまでの顛末を全て知っています。

その意味で、死ぬ前の自分よりも、自分の死を知っている相続人たちのほうが、自分の遺産について正しく判断できるのかもしれません。

なんか、今日は思ってもみない結論に至りましたが、今日はこの辺にします。

それではまた明日!・・・↓

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