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性的虐待を子どもが受け入れている場合をどう考えるか

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このブログでは、2019年7月にうつ病を発症し、それをきっかけに同年12月からブログを始めて、それ以降、600日以上毎日ブログ更新してきた、しがないサラリーマン弁護士である僕が、日々考えていることを綴っています。

法律に関する記事は既にたくさん書いていますので、興味のある方は、こちらにテーマ別で整理していますので、興味のあるテーマを選んでご覧ください。

【 今日のトピック:子どもの性的自由 】

今日は、昨日の続きです。

昨日のブログ↓

昨日は、12歳までは、自分で自分の性を処分できないということを書きました。

つまり、12歳までは、自分でセックスするかどうかを決めることはできないのです。なぜなら、12歳以下の人間とセックスしてしまうと犯罪になるからです。

その理由は、12歳までの人間は、自分で自分のセックスについて決められるだけの脳みそがないということにあります。

12歳までの精神的な成長は人それぞれのはずですが、法律は一律に、12歳までは自分のセックスについて決められないとみなしています。

じゃあ、13歳になったら自分のセックスについて決められるようになるかというと、実はそうでもなかったりします。

昨日のブログでも書きましたが、17歳までの人間とセックスしても、それは犯罪になってしまいます。

一応、12歳までの人間とのセックスが犯罪になるのとは違う理由が用意されていて、それは、「17歳まで自分のセックスを自分で決められない社会のほうがよくね?」というものです。

実際に、12歳までの人間とセックスした場合、「強制性交罪」が成立し、懲役5年以上という、とても重い刑罰によって処罰されることになります。

これに対し、17歳までの人間とセックスした場合は、10年以下の懲役又は300万円以下の罰金となっており、強制性交罪とは刑罰に大きな差があります。

「自分で自分のセックスについて判断できない12歳以下の人間とセックスした」のと、「17歳までは自分で自分のセックスについて決められない社会のほうがよくね?」では、そりゃあ、与えるべき刑罰に違うは出てきます。

自分で自分のセックスを決めるだけの脳みそがない、いわば「弱い」人間に対してセックスしたほうが、より重たく処罰されるべきなのは、素朴に理解できるような気がします。

さて、今日は、この先の話です。

それは何かというと、17歳までは、自分とのセックスによって相手を犯罪者としてしまい、その反作用として、自分で自分のセックスを決めることができないという法的な仕組みを用意しておきながら、「子どもの意思を尊重しなさい」という思想も採用していることです。

子どもの権利条約でも明記されていますが、子どもには、自らの意見を表明し、自分の考えを尊重される権利が認められています。

つまり、子どもは子どもなりに、自分の意見を表明し、貫いていいことになっているわけです。

もちろん、子どもの考えって、人生経験が浅いこともあり、非常に安易で浅はかだったりします。でも、だからといって、「考えが浅い」と大人が切り捨ててはダメなんです。

自分の考えが浅はかであることは、子ども自身が成長して思い至らなければならなくて、大人が無碍に否定してはいけません。

子どもにとって大切なのは、考えの浅はかさを大人に気づかせてもらうことではなく、浅はかであるかどうかにかかわらず、自分の考えが尊重される場を提供してあげることです。

そうすると、結局、子どもの考えは尊重されなければなりません。

じゃあ、子どもが実親からの性的虐待を受け入れている、または、望んでいる場合に、その意思を尊重する必要はないのでしょうか。

12歳までなら、「12歳までは自分で自分のセックスを決められない社会なんだよ」ということを教えればいいと思います。

12歳までなら、子ども自身の考えよりも、大人が適切な生き方を教えてあげたほうがいいと思えるからです。

しかし、この理屈が13歳になった後も通用するでしょうか。

この「13歳」という線引きは非常に的確で、やっぱり、13歳になったら、子どもは子どもなりに、経験は少ないながらも、その経験をフルに活用して、自分なりの意見を持つようになります。

それをむげに否定しちゃいけないのは、既に書いたとおりです。

じゃあ、実親からの性的虐待を子ども本人が受け入れ望んでいる場合、それも、子どもの意思として尊重しなくていいのでしょうか。

子どもが性的虐待を嫌っていれば、それはもちろん最大限尊重するんですが、性的虐待の事案では、子どもが性的虐待を受け入れている場面が結構多いです。

これはおそらく、性的虐待による傷つきを回避するためなんです。

子どもにとって、実親からセックスを強要されたことによる傷つきは計り知ません。計り知れない傷つきを体験した子どもは、自分が傷ついたことを認識しないように、別人格を作ったり、世界を自分から切り離したりします。

その結果、あくまで精神的には、大きな傷つきを回避することができます。だから、大きく傷つけば傷つくほど、その傷つきに気づかず、むしろ傷つき体験を受け入れるようにもなります。

本当に残酷ですが、こういった残酷な人間の機能をフル活用しなけばいけないほどに、大きく傷ついているわけです。

こういった大きな傷つき体験によって解離症状が出たりしますが、この解離症状を精神科医が診断してくれれば、性的虐待を受け入れているようで実は傷ついていると判断して、子どもの意思を否定していいとなるんですが、「本当は傷ついているはずだ」と認定できない場面もあるはずです。

精神科医の診断もなしに、「本当は傷ついているはずだ」と考えるのは、まさに、大人のエゴです。

子どもの意思を尊重しましょうと言いながら、性的虐待の場面では「本当は傷ついているはずだ」と言い出すのは、完全にダブルスタンダードです。

大人の都合のいいように理屈をこねくり回しているようにしか、子どもは考えないでしょう。

そんなダブルスタンダードは、子どもをナメています。

そんなナメた態度は、「子どもの意思を尊重する」と言いながら、大人の良いように子どもを処遇しようとする大人の腹黒さを透けて見えさせてしまいます。

僕は、そんなダブルスタンダードを使いたくありません。

ただ、実親からの性的虐待は、子どもが受け入れて望んでいるとしても、僕はなんか、子どもの意思を尊重するべきではない気がします。

これはどうしてなんでしょうか。

僕はやっぱり、実親とのセックスは、子どもにとって大きな傷つきをもたらす気がするんです。

子どもが受け入れ、望んでいるとしても、です。

少し考えたのは、子どもと親では、立場の強弱があり、対等ではないことでしょうか。

現代社会を前提にすると、子どもは、親から衣食住を提供してもらわなければ、生活することができません。

本当は、親から衣食住を提供してもらわなくても生活していけるんですが(親なしでも元気に育っている子どもはめちゃくちゃたくさんいます)、この知識を子どもに求めるのは酷です。

だから、子どもは、親との関係において、圧倒的に不利です。自分の生殺与奪を親に握られていると本能的に捉えてしまうのが、子どもなんです。

そうすると、子どもが親とのセックスを受け入れ、望んでいるとしても、それはあくまで、生殺与奪を親に握られたことを前提としています。

だから、どうしても僕は、いくら子どもが受け入れるとしても、親子のセックスを心から喜ぶことができないんだと思います。

勘違いしてほしくないのは、「親とのセックスなんておかしい」ということを僕は根拠としていないことです。

この「おかしい」によって、どれだけ多くの性的少数者が傷ついてきたでしょうか。そんな残酷で身勝手な価値観が僕は大嫌いです。

テメエの考える「おかしい」が、どれだけ浅はかなことか。

ゲイは、子孫を残すための性欲の役割に照らしておかしいと考える奴らが後を絶ちませんが、この価値観はめちゃクソに浅はかです。

実は、ゲイは子孫繁栄にとって必要かもしれないという研究があって、それは、ゲイを弟又は兄に持つ女性は、そうでない女性よりも多くの子どもを生むことを示す研究があるんです。

つまり、ゲイ遺伝子なるものが存在する可能性があり、それが女性に受け継がれると、その女性は多産になるわけです。その結果、ゲイを含めた兄弟全体で見ると、ゲイが含まれない兄弟よりも多くの子どもを残しているんです。

この研究結果を踏まえると、ゲイは、子孫繁栄にとって必要なのです。

そうすると、「ゲイは子孫繁栄にとってマイナスだ」という理由でゲイを批判していた前提が崩れます。

この研究がどれくらい正しいのかは更に検証する必要はあるのでしょうが、ただ、テメエの浅はかな知識で「おかしい」とか言うのは非常におこがましく、傲慢です。

だから、僕は、実親とのセックスが「おかしい」と短絡的に判断するのは大反対です。親とのセックスを求めることに、何かしらの合理的根拠があることを僕は否定できないからです。

ただ、僕としては、親が子に対して衣食住を提供し、生殺与奪を握っているという現代社会を前提とすると、親と子は対等でなく、対等ではない2人のうち弱いほうがセックスを受け入れ望んだとしても、それを鵜呑みにしてはいけないと思うんです。

ここを、子どもの権利条約は、「性的搾取」という言葉で表現しているんだと僕は思います。

「搾取」は、立場の強弱を前提とした言葉です。

子どもと親は対等ではなく、親は子の生殺与奪を握っているからこそ、親と子のセックスは、基本的に親が子を性的に搾取している(子は立場が弱いからこそ、セックスを受け入れるしかない)。

ここに、親と子のセックスが許されない理論的な根拠が存在する気がします。

だからこそ、子どもが親とのセックスを受け入れ、望んでいるとしても、それを許すべきではないでしょう。

もし、本当に親とのセックスを望んでいるのなら、親から自立し、対等な立場になった後、自由にセックスすればいいです。

その場合のセックスは誰も止めません。

本当に心から親とのセックスを受け入れている子どもにとっては申し訳ありませんが、やっぱり、子は親より弱い立場なので、親とのセックスを見過ごすことはできません。

今日はなんとなく、子どもの性的自由について自分なりの答えが出せてよかったです(笑)。

今日はこの辺にします。

それではまた明日!・・・↓

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