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お金よりも目先の感情を優先して、損しながら生きるのか

【 自己紹介 】

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このブログでは、2019年7月にうつ病を発症し、それをきっかけに同年12月からブログを始めて、それ以降、900日以上(ほぼ)毎日ブログ更新してきた、しがないサラリーマン弁護士である僕が、日々考えていることを綴っています。

(ほぼ)毎日ご覧くださってありがとうございます。本当に励みになっています。

【 今日のトピック:感情とお金 】

当たり前のことから始めますが、「お金」は大切です。

なぜなら、現代が貨幣経済だからです。あらゆる商品やサービスが、お金を媒介に交換されているので、お金がなければ、生活が成り立ちません。

お肉が食べたいと思って、自分で育てているじゃがいもと交換してほしいとじゃがいもを精肉店に持っていっても、交換してもらえません。

まあ、交換してもらえたら、それはそれでいいと思いますが、ただ、きっと、かなり不利な取引になるでしょう。

5000円分のお肉を買う場合、5000円札を精肉店に渡せば、何のこともなく買えますが、じゃがいもとの交換を申し出る場合は、明らかに5000円を上回る量を差し出さないと、交換してくれないと思います。

5000円きっかりの量のじゃがいもを持っていっても、それが本当に5000円分なのか計測はめちゃくちゃ難しいです(じゃがいもを持っていった側は、1キロ200円と高めの単価を主張し、じゃがいもを受け取る側は、1キロ50円と安めの単価を主張したら、話が噛み合いません。最終的には、どうしてもお肉を譲って欲しいなら、譲って欲しい側が譲歩して、1キロ50円換算でじゃがいもを用意することになるでしょう)。

貨幣を媒介にすれば、こんなこと起きないから、みんな、貨幣を媒介にするんです。貨幣というツールはあまりにも便利なので、今日までずっと続いてきました。

だから、お金ってとても大切なんですが、しかし、お金に適用されているルールは、僕らが進化の過程で知らず知らずのうちにインプットされているルールと少し(というか、かなり)違います。

お金に適用されているルールは、とにかく、合理的です。

株式市場を例にとれば、安い株を安いうちに購入して、その株が値上がりしたら、値上がりした時点で売却すると、お金が増えます。

株式市場に限らず、市場というのは、需要と供給というとてもシンプルなルールに支配されています。

ここに、感情が入り込む余地はありません。

例えば、トヨタ自動車の株式100株を100万円で買うという取引は、売主が悲しんでいようが、めちゃくちゃ怒っていようが、成立します。

買主が前日に妻から離婚を突きつけられて、精神的にハチャメチャであっても、そんな事情お構いなしに、契約は成立するのです。

より安く商品を仕入れ、より高く売ることができたら、その差額が利益となる。なんともまあ、単純でわかりやすい話です。

でも、ヒトは、こんな単純ではありません。

ヒトは、コミュニティ全体の存続を図ることで子孫を後世に残してきた、徹底的に社会的な動物です。

「さみしい」とか「あいつまじむかつく」という対人関係で生じるネガティブ感情と、「好き」とか「嬉しい」という、対人関係のポジティブ感情のどちらもが、進化の過程でインプットされ、「他人なしでは生きられない」と思わせるほどに、僕ら人類は社会的な動物となってしまいました。

実際に、進化の過程では、他人なしでは生きられなかったので、「他人なしでは生きられない」と本能的に思えた個体だけが、命をつなぐことができました。

「感情」という本能は、たいていは、「他人なしでは生きられない」という人間の本性から説明できます。

で、お金と感情の話ですが、こんな具体例を考えてみましょう。

ある父親(80歳)が死んで、子ども3人(長女、長男、二男)で、父親の遺産を相続することになりました。父親は、生前、長女と二男には、「遺産は、長男がつぐもんだ」と散々に言ってきたので、長女と二男は、「遺産は長男がぜんぶつぐもんだ」と思っていました。

しかし、父親は、特に遺言を残すことはありませんでした。

父親が遺言を残さなかったため、長男が、遺産をすべて引き継ぐために、遺産分割協議書の文案を二男あてにメールで送ってきました。もちろん、遺産をすべて長男が取得するという内容で作成されていました。

「1週間後にプリントアウトして持っていくから、それまでに実印と印鑑証明書を用意しといて」とも書かれていました。

メールの翌日、偶然、高校の同窓会があり、同級生の中に弁護士がいたので、世間話として、事のあらましを話しました。

「でもさあ、結局、長男がぜんぶ遺産を引き継げるんだよなぁ。二男に生まれたのがすべて運の尽きだわ」なんて話していると、「いや、二男だからって遺産もらえないなんてことないよ」と、その弁護士に言われました。「遺言がないから、法的には、長男も二男も法定相続分は平等だよ。まあ、寄与分とか特別受益で調整は必要だけど」

後半の「キヨブン」とか「トクベツジュエキ」という言葉の意味はわかりませんでしたが、どうやら、法的には二男である自分も遺産を相続できるらしいのはわかりました。

6日後、長男が、メールの文案どおりの遺産分割協議書を持ってきました。つまり、遺産をすべて長男が取得するとの内容が書かれていたのです。長男は、二男に対し、その書面に実印で署名押印するとともに、印鑑証明書の原本を渡すよう求めてきました。

二男は、自分にも相続する権利があることが頭をよぎりましたが、既に、長男に対して「兄さんが全部引き継ぐんだろ」と言っていて、前言撤回するのもなんかアレだったので、長男に言われるがまま、署名押印し、印鑑証明書を渡しました。

さて。

これが、「お金と感情」の話です。

「お金」の観点から考えれば、この二男の行動は完全に間違っています。相続する権利があるのなら、それをきちんと長男に対して主張し、いくらかの遺産を取得しなきゃダメです。

法定相続分を完全に取得するまで争うかというと、そこもまた、合理性の話で、法定相続分には満たなくても、より速やかにある程度の金額を確保できるなら、それでケリをつけるのもまた「合理的」です。

とはいえ、自分が相続できる権利があるのを知っておきながら、「前言撤回するのもなんかアレ」という、よくわからない抽象的な理由で、みすみす自分の権利を放棄するのは、「お金的」には完全に間違っています。

こういった、「非合理的」な行動こそ、お金を得る際の最大の敵です。

でも、こういった行動をとってしまうのがヒトの本能です。前言撤回は、自分の信用を落とす行動なので、「他人なしでは生きられないヒト」という生き物としては、躊躇してしまう習性があります。

この習性は、感情に根ざした本能的な情動なので、ストップさせるのは、非常に難しいです。

↑に書いたお金の話は、知識に基づく理性的な行動です。理性で感情を制御することは、もちろんできますが、とっさの判断だと、感情がひょこっと優先されることもよくあります。

こんな風に、人間は、「お金合理的」に行動するようには進化できていません。そのせいで、感情に動かされて損し続ける人もたくさんいます。

お金が好きなくせに、お金を得られるような合理的な行動はとらず、感情にまかせて損ばかりしてしまう。

そんな人がたくさんいます。

残念ながら、自分の損を回避してくれるのは(最終的には)自分しかいないので、知識を増やして、「合理的」に動けるよう、心がける必要があると思います。

ただ、ヒトとヒトとの関係では、お金合理的よりも、感情に素直でいたほうが、スムーズな場合も多いでしょう。

悪しからず。

それではまた明日!・・・↓

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