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虐待を受けた子どもが万引きしたりウソをついたりする理由

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このブログでは、2019年7月にうつ病を発症し、それをきっかけに同年12月からブログを始めて、それ以降、700日以上毎日ブログ更新してきた、しがないサラリーマン弁護士である僕が、日々考えていることを綴っています。

毎日ご覧くださってありがとうございます。本当に励みになっています。

【 今日のトピック:虐待の影響 】

僕は今、児童相談所で働いています。

日々、虐待を受けた子どもについて考え、学んでいます。

児相で働いていると、親が、「子どもが嘘をついて困っています」とか「子どもが嘘をついたのでしつけのために殴りました・蹴りました」と訴えてくることが結構あります。

どうも、たしかに、子どもは嘘をついているようです。

そして、虐待を受けた子どもが万引きすることも多いです。特にネグレクトの環境で育った子どもが万引きする傾向にあります。

「ネグレクト」なんてワードを出すと、本当に食べるものがなくて万引きしているようなイメージを持たれるかもしれませんが、日本では食べ物がとても安いので(特にカロリーが高いものが安い)、本当に食べるものがないということはあんまりありません。

「ネグレクト」の典型的な例は、いわゆる情緒的ネグレクトで、子どもを無視したり、面倒を見なかったりと、子どもが愛情を感じにくい接し方をしているパターンです。

食べるものがないことはないといっても、栄養バランスに気をつけた食事を用意することはなく、コンビニ弁当やカップラーメンばかりを与えるのも、情緒的なネグレクトに該当するでしょう。

こういったネグレクト環境で育った子どもや、殴ったり蹴ったりするなど身体的な虐待を受けるような環境で育った子どもは、万引きしたり嘘をついたりすることが多いです。

これは、どうしてなんでしょう。

僕が読んだ本の受け売りなんですが、少し書いてみようと思います。

そもそも、多くの人は、ウソをつくことに抵抗を感じますが、それはどうしてかというと、ウソは裏切りだからです。

僕も、ウソはつくことに抵抗を感じるので、ひどい虐待は受けてなかったんだろうなと思っているんですが、虐待を受ける環境で育つと、この現実世界に対する信頼を築くことはできないか、できても不十分なままです。

子どもにとっては、自分が生活する家庭が全てです。年齢的に、自分で衣食住を確保できないわけですから、衣食住を提供してくれる大人に依存して暮らすほかありません。

その依存せざるを得ない家庭において、依存対象となっている大人(多くは親)から、暴力を受けたり、十分な世話をしてもらえずネグレクトにさらされたりすれば、そりゃ、世界を信頼することなんかできません。

世界は信頼の対象ではなく、ただただ、命をつなぐ空間・時間になってしまいます。

こういった環境で育つと、命をつなげられれば、それでいいと思うようになってしまいます。もちろん、子どもたちが「命をつなげられれば、それでいい」と意識的に思っているかというとそうではないでしょう。

しかし、信頼なんかよりも、目の前の苦痛を回避することが最優先と本能的に動いてしまうでしょう。

そうすると、例えば、指示されたことをしていなかった場合(宿題を済ませなさいと親から指示されたのに宿題を終わらせていなかったなど)、子どもは、それを正直に白状すると、親から暴力を振るわれたり、さらに食事を与えてもらえなくなったりするので、「宿題やりました」とウソをつくんです。

確かに、宿題を済ませたかどうかなんて、確認されたらすぐにバレるのですが、しかし、確認されなければバレません。本当に少しの間ですが、白状するよりは、暴力を受けることを先送りにできるのです。

ウソをつけば。

だったら、ウソをついたほうがいいんです。正直に白状したら暴力を振るわれるのであれば、ウソをついたほうがいいに決まっています。ウソがウソとバレて暴力を振るわれることになるのも予測できますが、白状したら、その場で暴力です。それよりは、いったんウソをついて、その場しのぎをしたほうがいい。

ここまで子どもが意識的に考えていることはないでしょうが、しかし、正直に白状しても暴力を受ける環境に身を置いていれば、ウソによるその場しのぎを本能的に求めるのも理解できます。

そして、これは結局、現実世界への信頼を築くチャンスを逃し続けてしまうんです。だから、ウソにも抵抗がなくなります。

ウソは裏切りだからこそ、多くの人は抵抗を感じるのですが、現実世界を信頼していないのなら、ウソによる裏切りなんて観念できません。

その場がしのげれば、ウソでもホントでもどちらでもいいんです。

この「現実世界を信頼していない」は、万引きにも当てはまります。現実世界に対する信頼を築くことができていないのなら、目の前の商品を盗むことで、誰かを傷つけることがわからないのです。

誰かを「傷つける」という観念は、誰かを信頼して初めて生まれます。

「盗んじゃダメ」というルールで万引きを抑えるしかなく、盗むのは相手に被害を与える・傷つける、という発想は浮かばないんです。

だって、世界を信頼していないから。世界に対する信頼を築くチャンスを奪われたまま大きくなったからです。

幼少期に、親への信頼を築くというのは、本当に大切なんです。

親に対する信頼が、世界に対する信頼の基盤になります。

親に対する信頼が基礎となり、その上に、他の人間関係がトッピングとして乗っかっていくのです。

虐待は、子どもの将来にわたって、本当に大きな悪影響を及ぼします。もちろん、だからといって、虐待を受けた子どもの将来が絶望しかないのかというとそうではありません。

世界が信頼できるということを、毎日の生活で染み込ませていけば、改善可能です。

なにか特別な教育が必要なわけでもありません。

まずは、安心安全な生活の場で暮らし続けることが第一です。自分の安全が100%保証される場所で、衣食住を提供される。この状態を何年も何年も続けることが大前提です。

そして、そういった、物理的に安心安全な環境の中で、自分以外との誰かと信頼関係を築いていく。

最初はしょうもない話から始まって、少しずつ心を開いていく。それが蓄積されると、幼少期に培うことができなかった世界への信頼を取り戻すことができるようです。

とても大変な道のりですが、不可能ではありません。

児童相談所に対して良いイメージ・悪いイメージ、人それぞれでしょうが、こんなことを毎日考えて、子どもが少しでも幸せになれるよう奮闘しています。

それではまた明日!・・・↓

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