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#418 「認知(にんち)」をするのはどうして?

【 自己紹介 】

※いつも読んでくださっている方は【今日のトピック】まで読み飛ばしてください。

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このブログでは,2017年1月に弁護士に登録し,現在弁護士5年目を迎えている私古田が,弁護士業界で生き残っていくために必要不可欠な経験と実績を,より密度高く蓄積するため,日々の業務で学んだこと・勉強したこと・考えたこと・感じたこと,を毎日文章化して振り返って(復習して)います。

僕の経験と実績を最も届けなければいけないお相手は,このブログを読んで,僕のお客さんとなってくださるかもしれない方々,つまり,法律のプロではない皆さんだと思っています。そのため,日々の業務・経験がこのブログのトピックになっているとはいえ,法律のプロではない方々にわかりやすく伝わるよう,心がけています。

後戻りの必要なく,スラスラと読み進められるようにも心がけていますので,肩の力を抜いて,気軽な気持ちでご覧くださるとと大変嬉しいです。

【 今日のトピック:認知 】

さて,今日は「認知(にんち)」について話してみたいと思います。

ドラマなどで,時たま目にしますよね。「認知してよ!」とか「認知なんてしなくていい!」とか

でも,「認知」って,多くの人にとっては馴染みがない言葉だと思います。

僕も,弁護士になるまで,「認知」の意味について全然理解していませんでした。

「認知」がよくわからないのは,僕がとても素朴だったからなんだと思います。

「無垢(むく)」と言ってもいい。

どうして「無垢」なのかというと,「血縁上の親子関係」と「法律上の親子関係」の違いを意識せずに生きていないのです。

だからこそ,「認知」がピンとこない。

「血縁上の親子関係」と「法律上の親子関係」が違うなんて,生活を送るうえで意識したことなんてありませんでした。

でも,弁護士になって,いろいろと勉強すると,この2つの違いが,目に見えてきます。

さて,当たり前のことから話しますが,「認知」は,子どもが生まれることから始まります。

子どもが生まれたということは,必ず父と母がいます。

精子と卵子が子宮内で受精し,細胞分裂を繰り返して成長し,成長した胎児が子宮の外に出てきたからこそ,「子どもが生まれた」ということになります。

子どもが生まれたということは,子どもの素になった精子の持ち主と卵子の持ち主が必ず存在するわけで,その精子の持ち主が「血縁上の父」で,卵子の持ち主が「血縁上の母」です。

最初に指摘しておきますが,日本では,「血縁上の母」と「法律上の母」が違う,ということはあり得ません。

外国では,「代理母」のように,自分の卵子ではない卵子が受精した受精卵を子宮内に取り込んで妊娠・出産し,生まれた子供を卵子提供者の子どもと認めることができますが,日本では不可能です。

日本では,出産それ自体によって,「法律上の母」が確定することになっています。

そして,出産する女性は,生まれてくる子どもの卵子を提供した人物以外あり得ない(ことになっている)ので,生まれてきた子どもを出産した女性が,必ず「血縁上の母」であり「法律上の母」とみなされています。

この例外は許されていません。

代理母であれば,出産する女性と,卵子を提供した女性が異なるので,「出産した女性」=「血縁上の母」=「法律上の母」という図式は崩れるはずなんですが,日本の最高裁は,平成19年に,この図式は崩れない!と明言しました。

だから,仮に代理母で子どもが生まれた場合,その子は,出産した女性(卵子を提供していない)の子どもとみなされ,それを後から訂正することは不可能となっています。

もし仮に,出生届の母の欄に,代理母ではなく卵子提供者を書くと,その出生届を書いた医師に虚偽診断書作成罪が成立してしまいます。

出生届は医師が書くことになっていますが,犯罪となってしまう出生届なんて書いてくれる医師はいません。

だから,出生届は,代理母出産であっても,必ず,出産した女性が母として届けられてしまうんです。

これが日本の現状で,この不都合を最高裁が認めているわけです。

さて,話を進めます。

このように,日本では,必ず「血縁上の母」=「法律上の母」となっているので,母親に関しては,親子関係にズレは発生しません。

しかし,父親はそうじゃありません。

そもそも,子どもを出産するのは母親だけです。父親は何もしません。出産が母と父の共同作業であれば,「血縁上の父」・「法律上の父」なんて話をしなくて済むんですが,残念ながら,出産は母親の単独作業です。

だから,母親が出産すれば,生まれてきた子どもの母親は出産した女性だとわかるんですが,父親が誰なのかはわかりません。

子どもが生まれてきたということは,必ずどこかに「血縁上の父」が存在するはずですが,しかし,それはたちどころにわかるわけじゃないんですね。

「父親が誰か」という問題について,民法は,「結婚中に生まれたら母親の夫の子と推定する」と書いています。

「結婚中に生まれたのなら,普通は,出産した女性の夫が父親だよね」という価値判断が,条文上に現れています。

そして,確かに,多くの場合,結婚中に出産した女性の夫が「血縁上の父」なので,この条文に従い,母親の夫が出生届の「父」の欄に書かれ,その出生届が提出されると,母親の夫が「法律上の父」にもなります。

「血縁上の父」と「法律上の父」にズレは生じないんです。多くの場合は。

でも,結婚していなかったらどうでしょうか?

「結婚中に生まれたら母親の夫の子と推定する」という条文は適用されません。

そうすると,出生届がどうなるかというと,父親の欄が空欄になります。

「血縁上の父」である男性が,結婚していないとはいえ,自分の子であるとして,父親の欄に名前を書くことを承諾してくれれば,書いてもいいんですが,そうでなければ,父親の欄は空欄にするしかありません。

父親の欄が空欄のまま,出生届を出す。

これがまさに,「認知」が問題となる場面です。

「認知」とは,言うなれば,戸籍における「父」の欄を埋めることなんです。

「戸籍における父」とは,「法律上の父」を意味します。

「血縁上の父」である男性を,「法律上の父」と認めてもらい,その男性を,戸籍上の「父」の欄に書く。

それが,認知の目的です。

どうして「認知」するのかというと,普通は,養育費が欲しいからです。

養育費の支払義務を負うのは,法律上の父のみです。血縁上の父であるからといって,養育費支払義務は発生しません。

だから,養育費を支払ってもらうために,認知は不可欠です。

そして,「父親としての責任」を求めるという,感情的な側面も大きいでしょう。

「認知」が認められれば,戸籍の「父」の欄に,相手の名前が書かれます。

このことで,一応の「責任」を果たしてくれた,という気持ちになる女性も一定数いらっしゃると思います。

ちなみに,「認知」には,「任意認知」と「裁判認知」があります。

「任意認知」は,相手の男性が自発的に認知届を市役所に提出してくれることです。

本人同士の話し合いで応じてくれない場合,「認知調停」といって,裁判所での話し合いによって「認知」を認めさせるパターンも多いです。

「調停」もあくまで話し合いですから,調停の結果,認知届を出す場合も,「任意認知」です。

調停でも話し合いがつかない場合は,「認知の裁判」を提起するしかありません。

裁判を提起すると,DNA鑑定が行われ,親子関係が認められれば,認知の裁判の判決書を市役所に持っていって認知を届け出ることができます。

今日は認知について書いてみました。

「血縁上の親子関係」と「法律上の親子関係」にズレが生じること。

これに少しでも気づいてくださると僕は嬉しいです。

それではまた明日!・・・↓

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