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親権者だからといって、子どもがもう一方の親と会うのを妨害しちゃダメ
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このブログでは、2019年7月にうつ病を発症し、それをきっかけに同年12月からブログを始めて、それ以降、700日以上毎日ブログ更新してきた、しがないサラリーマン弁護士である僕が、日々考えていることを綴っています。
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【 今日のトピック:親と会う必要性 】
離婚では、「面会交流」がよく争われます。
「面会交流」とは、ざっくり言えば、未成年の子どもが、もう一方の親と会うことです。
まあ、離婚って本当に千差万別で、子どもがいない夫婦が離婚することもあったり、子どもがいる夫婦が離婚することもありますし、その子どもが未成年のこともあれば、すでに成人していることもあります。
この中で、面会交流が紛争となるのは、子どもが未成年の場合です。
今年の4月1日から18歳が成人となるので、17歳以下の子どもがいる場合に、面会交流について取り決めることになるわけですが、例えば、17歳にもなれば、自分で自由に離婚した父親なり母親なりに会いに行けますよね。
離婚したもう一方の親が、どこに住んでいるかにもよりますが、ある程度近ければ、17歳の高校生なら、学校帰りとか、学校が休みの日とかに会いに行けます。
でも、これが0歳の赤ちゃんなら、そうはいきません。
0歳の赤ちゃんは、自分で移動することができません。仮に、離婚した親が隣の部屋に住んでいても(そんなことはまずありませんけど・・・)、0歳の赤ちゃんは会いに行けません。
0歳の赤ちゃんは、誰かに移動させてもらえなければ、離婚したもう一方の親に会うことはできません。離婚後の親権者の協力が不可欠です。
ただ、離婚した親同士の仲は、基本的に最悪です。仲が良いのなら離婚なんてしません。
夫婦のどちらかは、またやり直したいと思っていることもありますが、少なくとも片方は、ぜったいに離婚したいと思っています。
そんな風に思われてしまうと、よりを戻すのはムリです。夫婦関係をやり直すには、お互いが同じ方向を向かなきゃいけませんが、「ぜったいに離婚する」と思っている相手が、自分と同じ方向を向くのはあり得ません。
こんな感じで、離婚した夫婦は、関係が完全に崩壊してしまっていますが、子どもにとっては、そんなの関係ありません。
離婚していようが、母親は母親で、父親は父親です。
そして、児童相談所で働いていて本当に実感しましたが、子どもは、自分の父親が誰で、母親が誰なのか、とっても気にします。
実親が誰なのかわからないという経験は、幸運にも僕にはなかったので、「自分の親が誰か気になる」という感覚を抱いたことはありませんが、想像することはできます。
実親が誰かわからない状態というのは、実父と実母を、自分の頭の中で具体的にイメージできない状態です。
これって、自分がどこからやってきたのか、つまり、自分のルーツがわからない状態です。とても不安だと思います。
僕は進化論について完全に素人ですが、進化論的に考えると、おそらく、旧石器時代の人類の集団でも、母親は特別扱いされていたと思います。
その子どもが、どの母親から生まれたのか、ということは、どんな時代でも明らかですから。人類の構造上、母親が誰なのかは必ず明らかです。
現代日本では、「分娩によって生まれる」という生物学的な特徴と、「一夫一婦制」というルールによって、実母だけでなく実父も明らかとなっていますが、かつては、必ずしも父親が明らかではなかったと考えられます。
というか、純粋に生物学的に言えば、誰が父親なのかをあえてわからなくしているとも言えます。女性は、排卵期に限らず交尾をすることができます。というか、排卵期(発情期)がいつなのか、当の女性自身すらわからなくなっています。
その結果、交尾に生殖以上の価値が見出されているのが人類です。不思議な話です。
目の前の交尾が、生殖として結実するかどうかわからないのに、僕らは交尾をしています。本当に不思議なんですが、こういう特徴を持った個体が、現代まで遺伝子を繋いできたのですから、「不思議だなぁ」で終わらせるのは思考停止でしょう。
こういう人類の仕組みを踏まえると、少なくとも、「自分の実母が誰なのか」は、本能的にアイデンティティの基盤となると考えられます。
実母が誰かすらわからないコミュニティは、過去に存在しなかったからです。自分の実母が誰なのかは、物心ついた後で知る必要はありましたが、「実母が誰かわからない」ということは、構造的にあり得ません。
これに加えて、現代日本では「一夫一婦制」が採用されていて、それによって、実父が誰かがわかっていることが「普通」となっています。
現代日本でも、実母が誰かなのか知る方法は分娩です。これは、原始時代から全く変わっていません。
おそらく、実父が誰かなのかわからないことが普通であった社会も過去にたくさんあったと思いますが(そもそも、一夫一婦制を採用しない限り、実父を特定することが難しいので)、しかし、今の日本社会では、実父が誰かわかっていることが普通です。
そうすると、実父が誰かわからないという状態は、普通から外れているので、集団生物である人間は大きな不安を抱きます。
この「不安」が原因で実父が誰か気になってしまいます。
そして、実母が誰か知りたいというのは、分娩によって生まれるという人類の構造に照らして、本能的な衝動です。
だから、離婚後も、実親に会わせなきゃいけないんです。実母に会えないのは、本能的な衝動を抑圧されている状態で我慢なりませんし、実父が誰かわからないのは、自分が普通から離れてしまっているので不安で仕方ないのです。
そうすると、離婚後の単独親権者だからといって、子どもが実親に会うことを妨げるなんてもってのほかです。
実親に会うのは、本当に大切です。実親の存在は、精神的な基盤になります。
親同士の仲が悪いからといって、子どもから実親と会うチャンスを奪わないでほしいです。
それではまた明日!・・・↓
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