見出し画像

インターネットのおかげで知ることを諦めなくてよくなった

【 自己紹介 】

プロフィールページはこちら

このブログでは、2019年7月にうつ病を発症し、それをきっかけに同年12月からブログを始めて、それ以降、700日以上毎日ブログ更新してきた、しがないサラリーマン弁護士である僕が、日々考えていることを綴っています。

毎日ご覧くださってありがとうございます。本当に励みになっています。

【 今日のトピック:情報の民主化 】

今日は、弁護士の田中広太郎先生のブログを読んでいました。

2つブログを開設してらっしゃるのですが、最初のほうは、2019年10月18日に田中先生ご自身が直面した事件について書かれています。

どんな事件について書かれているかというと、田中先生のお母さんはエホバの証人を信仰してらっしゃるのですが、そのお母さんが、緊急手術を必要とする状態に陥った後に実際に起きた出来事について、エホバの証人についての解説を交えながら、とても丁寧にわかりやすく説明されています。

僕の勝手な評価ですが、1冊の本として出版できる内容だと思います。

エホバの証人である母親が輸血の必要な状態に陥り、それに直面した息子のドキュメンタリーとして、非常にリアリティがあって、こういう言い方はアレですが、とてもおもしろかったです。

文章の運びも、とってもスムーズで読みやすかったです。田中先生の弁護士としての力量もひしひしと伝わってきました(田中先生は東京弁護士会に登録されているので、僕が直接お会いすることは今後もないでしょうが、田中先生の文章を読む限り、相手方の代理人にはついてほしくないですね・・・)。

自分が直面した母親の輸血拒否について書いた後、別のブログを開設して、次は、エホバの証人そのものについて解説されています。

ちょうど、ユダヤの歴史について、YouTubeで見ていたので、とてもタイムリーでした。

ユダヤの歴史を知った上で、田中先生によるエホバの証人の解説・説明を読んでいると、めちゃくちゃに理解が進んでおもしろいです。

自民党の歴史についてYouTubeで見た後、猪瀬直樹の書いた『日本国の研究』や、道路公団の解体に関する本を読んだのと同じくらい、おもしろかったです。

なんというか、今の時代って、本当に、「知る」ことへのハードルが低くなりました。

インターネットによって、「検索」という知恵が人類に与えられ、その知恵を上手に使うと、20年前なら、気が遠くなりそうなほど時間がかかったであろう、知識の連結(スティーブ・ジョブズの言うところの「コネクティングドッツ」があっという間で可能となりました。

おそらく、インターネット革命前であれば、自民党の歴史について、十分に理解するのは、非常に大変だったと思います。

1955年に、社会党に対抗するべく保守合同で誕生した自由民主党の誕生までの経緯や、その後の、池田勇人・佐藤栄作が成し遂げた高度経済成長、それから、田中角栄による「日本列島改造論」及び親中政策、それを受け継いだ竹下登、経世会が出来上がってくる様子や、小泉政権による対米従属路線などなど。

こういった、網羅的な知識を手に入れることができたのは、YouTubeがあったからこそです。

インターネット革命の前は、「知る」「知識を得る」って、本当に大変でした。

図書館に本はたくさんありますが、自分の知りたい内容が、どこにどんな形で保存されているかを特定するのは、丸一日図書館にこもることを何日も何日も繰り返す必要があったでしょう。

そんなの、生活費を稼ぐために働いていたら不可能です。

活版印刷によって、16世紀に知識が民主化されたことになっていますが、本当に庶民にまで知識が民主化されたのは、インターネット革命が起こるのを待たなければいけませんでした。

インターネット革命によって、知るために必要な時間が大幅に短縮されました。

その結果、時間的な制約によって「知る」を諦めざるを得なかった時代から、知ることを諦めなくて済む時代がやってきました。

先ほど出した例で言えば、エホバの証人について知ることも諦めなくて済むようになったのです。

旧約聖書について、茂木先生の解説動画をYouTubeで見て、旧約聖書やユダヤに関する基本的な知識を仕入れた後、田中先生のブログを読めば、非常にスルスルとエホバの証人に関する知識が手に入ります。

別に知識なんて役に立たないと思っている人も多いでしょうが、僕は知識を得ることは自分の幸せに直結していると思います。

というのも、知らないことは偏見につながり、そして、その偏見は、自分を苦しめることになるからです。

エホバの証人は、外から少し見ただけでは、理解不能です。

エホバの証人の信者たちは、輸血すれば自分の命(または家族の命)が助かるのに、輸血を拒否します。自分の命ならまだいいですが、子どもや孫など、自分以外の命であっても、命より輸血拒否を優先するのです。

ここだけ見ると、「ヤバい」で終わります。「エホバの証人こわいね」とか「新興宗教こわいね」で、終わっちゃうんです。

インターネット革命前なら、これで終わらざるを得ませんでした。本の中に知識は眠っていたでしょうが、それを掘り起こす作業に途方も無い時間がかかるからです。

でも、インターネット革命後の今は違います。

きちんと知識を仕入れることができます。

昔は、時間的な制約のせいで、仕入れることができる知識が限られていましたから、「偏見」を抱くことで折り合いをつける必要があったのですが、「偏見」というのは、その反作用として、自分を苦しめます。

なぜなら、偏見というのは、思考停止して相手のことをを見下すことですが、そんなことしていると、その「相手」と同じ領域に踏み込んでしまったらとても大変なことになるので、自分が踏み込める領域はせまくなり、その結果、とても生きづらくなります。

「偏見」ではなく、自分なりに知識を仕入れて納得しているのであれば、自分の意思でせまくしているので、生きづらくはなくなりませんが、なんとなく、思考停止で「偏見」を抱くと、「次は自分が偏見を持たれるかもしれない」という不安がいつまでも消えません。

偏見を抱き、相手を思考停止で見下して生きてきた人間は、それと引き換えに、自分が偏見を抱かれるかもしれないという不安を押し付けられてしまいます。

これが、偏見を抱くことの反作用として発生する「生きづらさ」です。

生きづらくなるんだったら、最初から偏見なんて抱かないほうがいいです。

相手に対して偏見を抱きながら、自分の行動は正当化するというやり方もありますが、そのうち虚しさに押しつぶされてしまうでしょう。

周りから人も離れていくでしょうし(人は人間関係の中でしか幸せを味わえないので、人が離れることは、幸せから離れることとイコールです)。

インターネット革命によって、あらゆる物事について、きちんと知識を仕入れた上で判断できるようになりました。

偏見を抱かざるを得なかった時代は終わりました。

今は、あらゆる事象や出来事を、いったんはフラットに現実として受け入れることが必要だと思います。

現実をありのまま受け入れた後、自分なりに知識を仕入れて、結論を出す。

それが、今の時代を生きる心得で、それが、今の時代を幸せに生きぬくやり方だと思います。

それではまた明日!・・・↓

*:;;;:*:;;;:*:;;;:*:;;;:*:;;;:*:;;;:*:;;;:*:;;;:*:;;;:*

TwitterFacebookでも情報発信しています。フォローしてくださると嬉しいです。

昨日のブログはこちら↓

僕に興味を持っていただいた方はこちらからいろいろとご覧ください。

━━━━━━━━━━━━

※内容に共感いただけたら、記事のシェアをお願いします。
毎日記事を更新しています。フォローの上、毎日ご覧くださると嬉しいです。

サポートしてくださると,めちゃくちゃ嬉しいです!いただいたサポートは,書籍購入費などの活動資金に使わせていただきます!