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頭良い人が高収入になりやすく、頭の良さは遺伝の影響を強く受けるという残酷な世界
【 自己紹介 】
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このブログでは、2019年7月にうつ病を発症し、それをきっかけにその年の12月からブログを始めて、それからブログ更新してきました。しがないサラリーマン弁護士である僕が、日々考えていることを綴っています。
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【 今日のトピック:遺伝と収入 】
タイトルのとおりです。とても残酷な真実を書いてみようと思います。
今の世界は、「普通の仕事」のレベルが、どんどん上がっています。
30年前の社会人は、パソコンで書類を作成したり、LINEやZOOMを駆使して仕事する必要なんてありませんでした。
紙にペンで文字を書いて書類を作成していましたし、携帯電話もありませんでしたから、今思うと、当時の仕事はめちゃくちゃに簡単だったと思います。
しかし、今の時代は、パソコンを使えないと、話になりません。「ワード」や「エクセル」という言葉を覚えたり理解したりするのが難しいと、仕事にならないのです。
現代人の多くが「普通」と思っている知識や動作に追いつけない人がたくさんいます。その数は、どんどん増えていって、2016年時点のアメリカでは、トランプ大統領を誕生させるまでに増えていました。
日本でも、きっと増えているでしょう。日本人であること以外にアイデンティティを持てない人たちが「ネトウヨ」を構成していると叫ばれて久しいですが、単純に、30年前よりも仕事の内容が複雑で難しくなった結果、仕事についていけない人がたくさん現れたのです。
で、今の時代では、仕事についていけるかどうかを何が左右しているかというと、わかりやすく言えば「頭の良さ」です。
難しく言えば、「知的な能力」「論理的思考力」でしょうか。こういった能力の有無が、仕事についていけるどうかに直結していて、その結果、収入を左右しています。
もちろん、例外はありますが、大きな視点で見れば、「頭のいい人が高収入になる」「頭の悪い人は低収入になる」という図式は成り立つでしょう。
この残酷な真実って、実は、中学校の時から、みんなわかっているはずです。
中学校の時に、成績の良かった生徒は、基本的には、成績の悪かった生徒よりも、学歴が良く、その結果、収入が高い傾向があります。
中学時代に成績の良し悪しで現れていた「頭の良い・悪い」は、生涯に受け取る収入を左右しています(もちろん、収入の高い・低いは、幸福度を大きく左右します。)。
で、ここからが、別に言う必要のない話ですが、中学生なんて、せいぜい15年しか生きていません。そして、そのうち10年くらいは、ろくに勉強なんてしていないのです。
そうすると、ひとりひとりの勉強量(努力量)に、さほど大きな差はありません。にもかかわらず、中学校の時点で、学業成績に大きい差があります。
中学校で成績1位の生徒と、最下位の生徒では、その学業成績は、あまりにもかけ離れています。これだけの差が、たった数年の勉強量の差で生まれるわけありません。
そうです。頭の良さ・悪さは遺伝の影響を強く受けます。
もちろん、環境の影響も受けます。僕は別に、「遺伝が100%」と言っているわけではありません。
例えば、親がろくに食べ物を与えず、小学校にも通わせないようなネグレクトを受けた子どもは、どれだけ遺伝的に恵まれていても、良い成績を残すことはできません。
分数を見たこともない子どもが、分数の計算なんてできるわけないので。
ただ、ある程度ふつうの生活を送れていることを前提にすると、学業成績の差は、どうしても、遺伝の影響でしか説明できないと思います。
生活レベルや勉強量に大きな差がなくても、学業成績に大きな差が出ることはあり得ます。むしろ、これは、学校の先生の間では「常識」にもなっているでしょう。
学校の先生たちは、きっと、昔から「遺伝」の影響に気づいていたはずです。同じように勉強している生徒が、同じような成績になるとは限らないことを、身をもって実感していたからです。
ただ、学校の先生としては、遺伝の影響を認めてしまうと、自分の存在意義が危機に瀕してしまいます。だから、遺伝の影響に対して目を覆ってきたのかもしれません。
でも、そんなことありません。遺伝の影響を認めても、教師の存在価値がなくなることはありません。
学校は、今の日本を前提にすると、生徒1人ひとりにとって、大切な居場所となっています。その居場所を守るのは、教師の大切な役割です。
じゃあ、教育は必要ないかというと、そうではなくて、先ほど説明したように、「最低限の教育」は保障してあげないと、伸びるものも伸びません。
公教育として、最低限の教育を施しながら、なおかつ、子どもたちの居場所を守ってあげる。こういった存在価値に教師自身が目を向ける必要があると僕は思います。
なんか話が脱線しましたが、結局、「収入や幸せが遺伝の影響を強く受けてしまっている」という、残酷なことをお話してしまいました。
それではまた次回!・・・↓
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