孤立と個立

 シン・エヴァンゲリオン劇場版:||を見てきました。見る前は2時間半という上映時間に妙に緊張しながら待ってましたが、始まってからはあっという間でした。パイロット、それを囲むスタッフたち、その世界に生きる人たち、そして見てる僕らがエヴァにさよならを伝える作品でした。あっさりめにまとめると。

 感想のために自分語り付きの文章を書いてましたが、おかげで本当に迷子になったので(笑)、書きたい部分だけを書きます。

 最終盤のプロットでは、シンジの持つ音楽プレイヤー「S-DAT」を通して、シンジとゲンドウの孤独、そこからの個立が描かれていました。
 ちなみに語感が良いので「個立」という当て字にしましたが、今回は人としての確立としておきます。ボヤけるかもしれませんがご了承ください。

 両親と周囲に溶け込めなかったゲンドウの少年期。そのゲンドウの孤独を慰めたものが、知識を取り込むこととピアノ。ピアノに関する語りには「調律されたピアノは、正確に音を返してくれた」という物がありました。推測ですが、自分が演奏したものも聞いていたように思います。音の楽しみ方なんてヒトそれぞれですけど、返ってくることを楽しんでいたのであれば、その快感も音楽の楽しみにある気がしたのと、繰り返されることによる安心感を得ていたのかなと思いました。

 そんなDATは、新劇場版だとシンジの手元へ行きます。「序」から「Q」まで繰り返し登場してたこれで、シンジはどうやらボーカル曲も聴いていたようです。シンジの場合、退屈を凌ぐためのプレイヤーとしての機能もニュアンスにありそうです。また「破」でゲンドウも使っていたことを聞き、父が嫌な世界から守ってくれているという、ゲンドウからはあまり感じられなかった父性の象徴というニュアンスも含まれているようです。

 ここに自分語りを差し込みますが(笑)
イヤホンによって外界から自らを守るのは、自分もそうてした。そりゃ授業中こそ外してましたが、高校生のころに音楽という趣味を覚えたのは、周りの人に馴染めなかったこと、周りの話や考えに乗れなかったことが理由の一つにあります。

 そんな音楽の壁の中で、自分の場合は、その壁についてヒトと話したい欲求が少しずつ湧いていきます。僕には壁なんだけど、それはヒトによっては剣でもあるし、花でもある。高校生の間こそ、自分の好きなアーティストの話ができる人を作れませんでしたが、大学に入ってからはTwitterを介して少なくない数の知り合いが出来ました。中にはケンカもしたけれど、中にはもう連絡を取れないヒトも居るけど、それすら初めての体験だったので、結果的に大切な体験と変化しています。

 また、壁に触れるその体験は、ある意味で仕事の一部として自分のこころの中にあります。ド三流ではありますが、それでもカウンセラーの端くれに席を置かせてもらって早三年になります。道半ばですけど「個立」していってると。

 さて、シンジとゲンドウは、その孤立からどう「個立」したのか、ここがとてもとても面白い部分でした。時間をかけて、たっぷりと彼らなりの対処が描かれていました。なかなか話しにくいことを親子水入らずで、世界の極地で、時に我々観客すらリソースとして言葉に紡いでいくその時間は、ヒトのこころに触れるような体験でもありました。
 
 傷つけられたくないのは、傷つけたくないから。多くのヒトのこころに突然触れされられてしまったシンジは、いかにその体験を溶かしていくのか。その氷のような冷たさを熱に転換して、人類補完計画を進めるゲンドウの行き着く場所とは…ってなところで終わりにします。お読みいただきありがとうございました。

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