見出し画像

「Life is strange 2」のプロローグは素晴らしい!【エピソード1】


プロローグ

本記事は「Life is strange 2」の物語の描き方に関するレビュー記事です(今回は背景の社会問題には触れません)。

レビューと言いましたが、実は私は「Life is strange 2」をプレーしたことがありません。

それどころか、冒頭の1時間の実況を見ただけです(2-3回見ました)。

しかし、冒頭の1時間に私は胸を撃たれ、この作品が素晴らしい作品であることを確信せざるを得ませんでした。

1時間実況を見た範囲で、1時間しか見ていないからこそ、この物語の卓越したプロローグの魅力を語ります。


▼他の実況も過去に見ましたが、今回記事を書くきっかけになったのは狩野英孝のゲーム実況です。狩野さんの実況はゲームの魅力を引き出すのが大変うまいです。


プレイヤーに家族の関係性を理解させ、父親を好きにさせ、父親との別れを辛くさせる、プロローグとして無駄のない20分

狩野さんの動画の13:30~33:30の父エステバンとの会話がとても好きです。

短い会話ながら、父親や弟の人柄、主人公との関係性を効果的に説明しきっており、その後の物語のベースが全てここに詰まっています(その後は見ていませんが、詰まっていると確信しています)。


まずは、ユーモアもあり、物分かりもいい、プレイヤーが好きになるであろう「いい父親像」を短時間で描き切っています。

これは登場時からただ優しいだけではダメで、理性的・現実的に物事を捉えている側面を見せつつ、主人公と弟の人格形成をつながるような問いかけをする中で、理由のある優しさを見せています。

これにより、エステバンこそが条理であり、エステバンを排除した世界が不条理であることが瞬時に理解できます。

「無事に帰ってくれば何も言わん お前くらいの年の頃は色々あるからな」

エステバンの台詞「Life is strange 2」


また、息子である主人公と未来の話をするエステバン。

この後の展開を知っていると死亡フラグとも読み取れますが、短期的なスパンの会話に、意図的に長期的な将来の話が差し込まれ、プレイヤーに一瞬「変わらぬ幸せな家庭」を意識させます(そしてこの後裏切ります)。

「そりゃ俺が引退した後に面倒を見てもらうためさ」

エステバンの台詞「Life is strange 2」

「んでメキシコに戻るかね プエルト・ロボスに」

エステバンの台詞「Life is strange 2」


また、父親との会話から、弟が十分に年の離れた、「守るべき存在」であることも、主人公=プレイヤーに刷り込んでいます。

この後のシーンで主人公が兄として弟をやや冷たくあしらうシーンも出てきますが、最終的な兄の行動指針は下記の父の台詞によって決定づけられています。

「頼られてるんだから助けてやれよ それが家族だろ?」

エステバンの台詞「Life is strange 2」


ロールモデルとしての父親

その後のシーンで、父親の過去を夢想し、自分と重ね合わせています。

「父さん よくライブ行ってたっけ おっさんバンドのライブって楽しいのかな?」

ショーンの台詞「Life is strange 2」

「ガレージの経営は父さんの夢だった…すごいよな...マジで」

ショーンの台詞「Life is strange 2」

父親と自分を重ねる心情は、この後に父親をロールモデルとして、弟にとって「リードをしたり守ったりする兄」としての役割だけでなく、「成長を促し裏で見守る父」としての役割を引き継いでいく展開に繋がっていきます。

「キャンプってこういうもんなんだよ」「つまり…本物の冒険だ!」

ショーンの台詞「Life is strange 2」

このユーモアのこもったダニエルへの鼓舞は、ユーモアをはらみつつ自らの思考を促す、父親のセリフとも重なります。

「さあ裁判官…裁判を始めよう」

エステバンの台詞「Life is strange 2」

~追記~

エピソード4まで見て、「ロールプレイ」が本作の一つの最重要アイテムになっていることに気づきました。

このことについては下記の記事に記載しています。

~追記終わり~

そして先程も挙げた下記の台詞。「それが兄貴だろ?」ではなく「それが家族だろ?」となっています。この2つでは聞き手の受ける印象が大違いではないでしょうか。

「家族」という言葉が使われることで、エステバンが兄弟関係において兄がリードすることを期待しているのではなく、より大きな家族という枠組みの下で支えていくことを意識づけているように聞こえます。

「頼られてるんだから助けてやれよ それが家族だろ?」

エステバンの台詞「Life is strange 2」


母親の不在

まだ冒頭のストーリーしか見ていないため、ショーンたちの母親が登場していないことの背景を知りません(もしかしたらその後も出てこないのでしょうか)。

いずれにせよ、母親の不在は家族の構成をシンプルにすることで、父と兄弟3者の関係をより浮き彫りにすることに成功しています。

そして、兄が唯一の保護者である父をロールモデルとして、その役割を引き継ぐことで成長していく、あるいは(悲しいかな)精神的に成長せざるを得ない状況を強調しています。

「弟のため」の選択

父親の役割を引き継いだ後の兄は、そして兄の目を通したプレイヤーは、要所要所でゲームの根幹である「2択」を迫られ続けます。

そして、これらの選択は「自分たち兄弟のため」ではなく、(少なくとも序盤では)ほとんどが「弟のため」の選択となっています。

ここでいう2択とは、(兄=プレイヤーが)「弟にモラルを外れた行動を見せたくない」 vs 「弟のために金や食べ物が必要」というせめぎあいです。

自分自身の良心の呵責ではなく、自分自身をロールモデルとしていく弟に「行動を見られている」ことが選択の重石になっていきます。

また、金や食べ物も自分一人のためであればそこまで選択に困るものではありません。プレイヤーとしても、主人公にHPが設定されていない以上、主人公一人であれば、食べ物を取らない選択をしてもそこまで良心は傷みません。

しかし、ゲームであっても、弟に不足を与えるという行動を取りづらいです(この意識を効果的にプレイヤーに刷り込んでいるのがプロローグのすごみです)。

インタビューでも、クリエイティブディレクターのMichael Kochが、「ダニエルの教育」がこのゲームのテーマであり、ショーンの選択が「道徳カウンター」と「兄弟愛カウンター」の2つのパラメータが動き、ダニエルの迎える結末が変化することに言及しています。


前作「Life is strange」との違いと、兄の成長(の強制)

ここまで挙げた①ロールモデルとしての父の存在、②母の不在、③弟のための選択、という要素が、兄を精神的に成長せざるを得ない状況に追いやります(こう書くと呪いの様にも思えてきます)。

そして、メタな話ですが、前作「Life is strange」と違いも、これを強調しています。

前作では(あるいは次作「Life is strange 3」でも)主人公自身が超能力を持っています。そして、時間を戻すことで、自身の受け入れがたい状況を変えていくという、若干ご都合主義な構成です。

他方、今作では巻き戻したくても巻き戻せないですし、また超能力も自分ではなく弟が持っています。

この前作との差が、プレイヤーに「兄=プレイヤー自身の選択でどうにかするしかないんだ」という感覚を強調し、(表向きには)より大人びた強い人物像を兄に重ねています。

そして、完全には演じ切れずに、体からはみ出してしまっている「大人びた強い人物像」と、恋心や友情を感じる普通の高校生である「等身大な像」との歪なギャップに、切なさと物語の奥深さを感じます。


結語:まずは全編見てみます

全編見てみて、上述したことが見当外れだったらごめんなさい(その際はまた追記します)。
ただ、冒頭1時間で心を惹く作品である事実は変わらないでしょう。

エピソード1に関する考察動画も投稿しています。
社会背景やフレーバーテキストから見えることについて、より詳細に考察しています。


私たちのYouTubeチャネルでは、他にもゲームについて語ったり、開発過程を投稿したりしています。
是非ご覧ください!

「Life is Strange 2」に関する他のレビュー記事


ヘダー画像:https://www.jp.square-enix.com/lis2/(取得日:2024/8/17)
LIFE IS STRANGE (C) 2015-2022 Square Enix Ltd. All rights reserved. 記載されている会社名・製品名・システム名などは、各社の商標、または登録商標です。

いただいたサポートは、ゲーム・YouTube制作のためのツール購入や勉強のために使わせていただきます。