「恋人」である意義


遠距離恋愛だととにかく時間がある、時間がある上に元の性格も相まって色々考える。好きな人のことを好きだと思う以上に、一体この関係になんの意味があるのだろうかと。

私の感覚としては多少強引に付き合ってもらったようなものなので、あの時ああ言ってなかったら始まりも終わりもしなかったはずだ。

好きな人のことを気になり始めてから、思わせぶりな言動に振り回されるようになって1ヶ月くらい経ったあと、2人で会うことになり「この人の言葉に揺れたり、このままどっちつかずな態度をとられたくない、今日何も伝えられなかったら徐々に距離を置いてなかったことにしてしまおう」と思っていた。(お気付きでしょうが相当な受け身です)
はずなのに、私のことを「気になってる人」と呼ぶくせに最後の最後まで「好き」とか「付き合おう」は言われず、我慢ができなくなって私から踏み込んで聞いてしまい、それがいい方に転んでお付き合いすることになった。

そのことに対して「確かにもう少し知ってからのつもりだったけど、このまま帰したくないと思ったし、付き合いたいと思ったのは本当だから心配しないで」と言ってくれた。(好き)

ただの惚気になってしまった。


そんな感じでお付き合いが始まり、その翌々日彼は凡そ1000km離れた遠い地へと帰っていった。だから実生活においては何も変わらなかったのだ。私の友人(彼のことも知っている)ひとりだけには伝えたがそれくらいだ。電話をするくらい。



「好きです。付き合ってください」というのは、「好きです。今後連絡を取り合い、定期的に会って、体の関係を持ち、浮気はせず、何かしらの理由が2人を別れさせなければ、いずれ結婚をする可能性を見据えながら、互いが互いを思い、膨大な時間と価値観を共にするために今のライフスタイルを変えることを決めてください。僕(私)にはその覚悟があります。付き合ってください」の略なんですよね。

https://woman.mynavi.jp/article/201118-27/


私の好きなコラムニスト、ウイさんがこう言っていた。これでいうと定期的に会ってはいないし、体の関係もない、結婚…なんてもっての外であるし、価値観の擦り合わせは意外としているけど、ライフスタイルもそんなに変わっていない。「付き合う」なんてただの口約束で、浮気をしてるかしてないかなんて分からないし。

考えれば考えるほどわからなくなる。「恋人」という名前をつけるためだけに付き合っているんだろうか。確かに関係に名前があることで、お互いが他の人と恋愛関係になったときに怒ることができる。数ヶ月掛けて出た答えがこれだけ。

わからない。わからないのだ。

でももし好きな人が恋人じゃなければ、恋愛の好きはやめるだろう。苦しいことも沢山あるし距離も遠いし、時間とともに忘れる。友達に戻るんだろう。きっとこれは考えてはいけないことなんだ。

だって、理論で説明できないのに恋人であってほしいと願ってしまうから。ただの片思いでは満足できなくなってしまっているから。説明できない七不思議のひとつにしておいた方がいい。

今日も好きな人が好きだって、その幸せに浸るだけで十分。恋人でいることができて、お互いがお互いを好きだって信じようとして、その事実に名前がついているだけで満足だ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?