マティス展へ行って来ました 🧐
以下の仏文は 1951年に日本で初めて開催されたアンリ・マティスの大規模な展覧会の記念図録に、マティス本人が寄せたメッセージである。
初めに読むこと【noteに投稿する私の記事等の著作物の閲覧・引用及び利用・実践等の注意事項】(2023年5月25日更新)
※ この展覧会の【 SECTION 1 / 色彩の道 】【 SECTION 2 / アトリエ 】についての西山の感想は 割愛する。
■ SECTION 3 / 舞台装置から大型装飾へ
20世紀、エルンスト、マグリット、シャガール、ダリ、ミロ などが標榜した 超現実主義とは異なる作風を樹立する画家のひとりに アンリ・マティス がいる。素朴主義(派)のルソー、表現主義のムンクやマルク、カンディンスキー、記号主義のクレー、立体主義のピカソやブラック、象徴主義のクリムト、ルドン、モロー、印象主義(派)のモネ、マネ、ドガ、ルノワールやピサロ、また スーラやシニャックなどの新印象主義を含むポスト印象主義(派)のセザンヌ、ゴッホ、ゴーギャン、その他 エコール・ド・ジュイフの画家に代表されるモディリアーニ、パスキン、キスリングなどに対して、マティスは マルケやドラン、ルオー、デュフィなどと共に 野獣主義(派)と呼ばれている。
ただ、芸術家同士が相互に影響し合う交流関係の親密度により 美術史の見識には諸説があって、主義としての分類の基準が明確にならない。また、建築、服飾などのデザインの分野、文学や演劇、舞踏、音楽と連動して 美学的なポリシーの折衷や妥協、離反があったり、時には スポンサーの意向が強く反映された芸術運動が展開している歴史的事実を否定出来ない。
たとえば、展示されている『ナイチンゲールの歌』のための衣装は マティスによるデザインだが、このバレエの興行は マティスの奮闘だけでは実を結ばない。マティスの美術 と セルゲイ・ディアギレフ のプロデュース 、イーゴリ・ストラヴィンスキーの音楽 、レオニード・マシーン、ジョージ・バランシンなどの振付け、タマーラ・カルサヴィナやアリシア・マルコワなどのダンス、そして、何よりも 上演時のスポンサーの 総意 があって成立するのである。尚且つ、ビジネスを成功させるために 民衆の心を魅了し、世論を味方にするパフォーマンス を提供するのは 容易ではない。
バレエ『ナイチンゲールの歌 / Le Chant du rossignol 』は 1920年、アンセルメ の指揮、OSR の演奏で パリ・オペラ座 にて初演された。その後、 音楽の新しい再現の試み が 1900年代から現代まで、ブーレーズ、マイヨー、デュトワ、上に リンクを貼った クラフト などによって為される。更に、この作品の原曲は アンデルセンの童話『小夜啼鳥 / Nattergalen 』に基づくロシア語の歌劇であるが、ディアギレフとマシーン、ストラヴィンスキーらによって 歌劇からバレエ音楽に 差し替えるための翻案へ更新されている。
また、美術や振付け、バレリーナ、バレリーノ、プロデューサー、スポンサーなどは 上演の趣旨によって 結成されるため、その都度 大掛かりなプロジェクトの体制化が必要だった。
2024年5月24日、展覧会の会場では 第 1 セクションから 第 3 セクションまでの美術品の撮影が許可されていなかったため、マティスが デザインしたバレエ衣装の写真を この記事には 掲載しなかった。今回の展覧会の図録や案内サイトで紹介されているので、興味のある方は 以下まで。
▶ 図録・グッズ│マティス 自由なフォルム (matisse2024.jp)
▶ マティス 自由なフォルム | レポート | アイエム[インターネットミュージアム] (museum.or.jp)
また、note 内でも ❝ マティスと小夜啼鳥 ❞ の関連記事が いくつか投稿されているので、関心があれば 探してみて欲しい。
さて、西山が その後の 2つのセクションで出会った 注目すべき展示作品について、引き続き感想を述べたい。ここからは 撮影が許可されていたので 西山が 個人的に写した 画像 を 公開してお話をすすめていく。
■ SECTION 4 / 自由なフォルム
▶ マティスと切り紙絵-展覧会紹介-│マティス 自由なフォルム (matisse2024.jp)
第 4 セクションの切り紙絵《花と果実》は、シュールともフォーヴとも分かち難く曖昧な下の千億祥也のモニュメンタルアート「はっきりと赤い花」との共通点が見出せる。
色彩や陰翳を含む光、印象や象徴を含む形、創造や物語の 時空間の調和を表現する美術において、綜合芸術へと結実した作品の価値は 造形言語を確立するための道具や素材、理論や思想、創作環境や実技能力などによって無限大の誤差が生じる。こうした誤差によって現れたこの世ならざる桃源郷を、私たちは 或いは観察し、或いは聴くのである。また、私たちが個体として体験し得ない 別の世界で同時進行している青史に踏み込む。「野獣」と云う運動には そんな意味があるようにも 西山は感じる。
この記事の冒頭のメッセージでマティスが述べている通り、我国(日本)におけるマティスの大規模な展覧会のはじまりは マティスに師事した 硲 伊之助 氏の 尽力により 1951年、国立博物館(現在の東京国立博物館)にて 開催されている。当時は カタカナで『アンリ・マチス展』と表記されていた。今回のマティスの大規模な展覧会は はじまりから七十余年の月日を経て グレードを上げての展示の再現に期待が寄せられたことにより、2023年に東京都美術館で開催された『マティス展』に続いて、未だコロナが終息しない中、まさかの 20万人超えの来場者で賑わった。
今更 過去へ遡って対応出来る話でもないが もし マティスが来日していたら、日本の画壇は違う方向へと舵を切っていたかもしれない。偉大な芸術家との出遇いは 時折、人ひとりの運命だけではなく、国体や宗教・芸術団体の本義を護持する指針さえ変えてしまうことがある。例えば、ボブ・ディランや ボブ・マーリーの音楽のように ……。
或いはまた、非現実的な話だが もし マティスが現代に活躍していたなら、どんな美術作品が生まれただろうか? CGやVFX、SFX、AI などの新しい造形表現が導入されて、切り紙絵よりも更に進化した DX を見出したに違いない。マティスは自身の芸術的取り組みから学べる成果が、未来の美術家たちの創作活動においても開花するよう期待をかけていた。 今後は note に投稿されるクリエイターの Business Model によって、アーティストの理想的なライフスタイルが具体的に確立されていくだろう。西山もその一翼を担えれば良いと考えている。
■ SECTION 5 / ヴァンスのロザリオ礼拝堂
最後の 第 5 セクションでは、自身の美学の未消化を憂いていたマティスが 晩年に行き着く色彩とフォルムの聖なる芸術の境地の堪能が叶う。ここでの時間と空間は、 上に リンクを貼った マティスの盟友である ルオーが熟成する 20世紀最高の宗教画の境地と 双璧を為す。マティスが 現実の世界へ 鮮明に出現させた 敬虔な祈りの磁場は 極めて静謐な信仰の歓びを充たす天幕のようだった。
以上のように マティスの芸術的研鑽を俯瞰する興味深い美術作品が 斬新な趣向で展示されていた。印象主義やポスト印象主義などの様式に肄った修学時代の油彩画、アントワーヌ=ルイ・バリーの影響を受けた彫刻、リトグラフの版画、アトリエを主題にした絵画、挿絵本、タペストリー、ドローイングによるデッサン、そして、美術的技法を統合して円熟期に挑んだ 切り紙絵による多彩な造形など、マティスの創作活動の魅力が十二分に鑑賞出来て 一際 楽しめる展覧会であった。───
👇 以下は 2024年6月18日現在、西山の人気No1の美術の記事です。引き続き 是非ご訪問下さい。
© Japan copyright 2024.6.18 Traditional Yoga Art Production
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