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伝統YOGAクラスの近況 ➐ 伝統YOGAの学び方

初めに読むこと【noteに投稿する私の記事等の著作物の閲覧・引用及び利用・実践等の注意事項】(2023年5月25日更新)


 本日は過去に開催された西山弘一の伝統 YOGAクラス(土曜クラス)での講義内容を一部公開致します。テーマは『 伝統ヨーガの学びの進め方 』のお話からです。


 伝統YOGA の実践における母娘おやこの関係は、伝統YOGA を学んでいる母と伝統YOGA を学んでいない娘の雛形モデルが多くみられます。実際には 伝統YOGA を学んでいる娘が ❝ 母 ❞ であり、伝統YOGA を学んでいない母が ❝ 娘 ❞ である場合も少なくありません。そのような場合も 現実にありますので、誤解が無いよう、学習していきましょう。



 母が幼い娘に、「ベランダに出てはいけません」と注意しているのに、娘が「ベランダに出ません」と言いながら、母の目を盗んでベランダに出るなら、この娘の安全は見込めません。母を信頼する娘は、母に寄り添ってベランダに出ません。この娘は安全です。母への信頼よりも、自らの好奇心を優先する娘は、ベランダに出ようとします。この時、好きなおやつを出せば、ベランダに出ることを忘れる娘がいます。この娘は、やや安全です。母の許しを得て、母と共にベランダに出る娘も、やや安全です。しかし、ある娘は、母の隙をみてベランダに出ます。この娘は危険です。ベランダから転落するかもしれません。この娘は、やや長じて、さらにこのように思います。  
 「母は いつも私にベランダに出るなと言うが、母は いつもベランダに出ている。何かベランダには特別な楽しみがあって、母は ひとりで楽しんでいるに違いない。私は 立派に成長してベランダの危険を承知している。そろそろ 私もその楽しみの秘密を知りたいものだ」と・・・。

 その後、このやや長じた娘は、ベランダから転落して、一生涯、歩けなくなる怪我を負うことになりました。この娘は、一生涯、歩けない状態で生きていかなければなりません。娘は、自らの軽率な行動を悔やみ、悲しみました。その悲しみは、大きな悲しみでしたが、母の悲しみは、その娘の何倍もの悲しみでした。母は、その娘の歩けない姿を見て、いつも思いました。 
 「私が、この子をこんな身体にしてしまった。私が不注意だったのだ」と・・・。
 しかし、母がどんなに悔やんでも、娘の怪我は治らないし、自分が娘の怪我を代わってやれるわけではないのです。

 やがて、歩けない怪我を負った娘は、ベランダで、家族の衣類を干している母を見ました。母は、ベランダで楽しんでいたのではなく、家族のために働いていたのです。この娘は、涙を流して悲しみました。
 「私は、ベランダで楽しむためにではなく、母のように、家族のためにベランダで働くために生まれてきたのだ。今 歩けなくなって、 自ら歩いては その役目を果たせなくなってしまった」と・・・。


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