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リアルに想像できることは現実になる

タイトルを読んでどう思いましたか?

「リアルに想像できることは現実になる」

わたしは九州の田舎で育った。どれくらい田舎かと言うと、実家のお風呂は薪風呂で(私が中学生の時に建て替えてたけど、お風呂は父のたっての希望で薪風呂にした)ガスが普及されている現代においても、近所の家もちらほら薪風呂。

自動車の免許を教習所に取りに行った時、最後の路上試験の時は教習所を出て、帰ってくるまでに信号は1個しかなかった。わたしが当たった試験コースは田んぼ道の直線を通るルートで、見通しは良いけど今思えば路肩も何もない車幅ギリギリの1本道。(こんなコースが試験コースで良いのか)

そして実家を出るまで近所で大学生に会ったこともないくらいの、ド田舎。

まあ、そんな田舎ではあるけれど田舎は田舎の良さがある。

お米やお野菜は自家製だし、何ならお米は無農薬(無農薬と言えば聞こえがいいが、農薬をまくのが億劫になった父が農薬をまかなくなって10年以上経っただけ。薬をまかなくてダメになっても家族が食べる分だけ収穫出来ればいい、という父の考えで)だし、なんなら猪やシカのお肉も時々近所の方から差し入れがくる。

あ、そうそう。海も近くて魚釣りが得意なおじさんが、毎日海にでては太刀魚を釣ってきて「食べきれないから」と言って毎晩届けてくれた。

毎晩届くものだから、今日もらった太刀魚は今日食べてしまわないと明日は大変なことになる。

「お母さん、もう太刀魚みたくない」なんて贅沢なことを言っていた。

そんなド田舎で生まれ育ったのだけれど、頭の中では何故か将来は実家を離れて都会で暮らすことになっていた。

丸の内や馬車道のようなハイカラなところを闊歩しているわたし。5月頃、薫風を感じながら会社に向かうわたし。初夏の太陽がまぶしくて目を細めるわたしの姿をリアルに想像していた。

実際、今そんな生活を送っているから不思議なものだ。

両親はわたしが実家を離れるなんて夢にも思わなかったという。

そしてもう一つ。17歳の時、町の交換留学生の制度が出来て(残念ながら財政難のためその制度は2回で終わった。)カリフォルニアに1ヶ月ホームステイに行く学生を募集していた。

掲示板を見た時に「ピン」と来て、「あ、わたしアメリカに行くな。」と試験を受ける前からアメリカに心は旅していた。

アメリカの匂い、アメリカの空気、アメリカの太陽の光。

ただの1度も海外に出たことの無いはずのわたしは、リアルにそのアメリカを感じていた。

1次試験、2次試験を勝ち進み最後・・・最後は信じられないことに抽選会だった。

一人ずつ前に進み、白い箱の中の茶封筒を一枚ずつ引く。

この時周りの人たちはガチガチに緊張していたのだけれど、何故かわたしは緊張していなくて、アメリカに行けるワクワクしかなかった。

そうこうしているうちに私の番が来た。

白い箱をのぞくと一つだけ茶封筒が浮かび上がって見えた。

迷わずそれを引いて席に戻った。

「はい、みなさん。揃いましたね。では一斉に中の封筒を開けてください。」係の人の掛け声で一斉に封筒をあける。

3つ折りされたA4の紙の真ん中に小さい小さい飛行機の絵が描かれていた。

「チャンスをつかんだ人の封筒の中には飛行機が描かれています。飛行機を持っている人は前に出てきてください。」

わたしはアメリカ行きのチケットを手にしたのだ。

リアルに想像できることは現実になる。

こういうと「わたしはそんなことはない」と言う人もいるけど、忘れているだけなんだと思う。

大なり小なり、リアルに想像できていることはたいてい現実になっている。

怖い話では「わたしは一生彼氏が出来ない。」と言い続けていた友人はいまだに彼氏がいない。

ある種の暗示なのかもしれない。

で、あればいい暗示をかけてガンガン良い現実をリアルに想像してなりたい自分になった方がいい。

そんなことを思った6月の夜でした。(最後締まらなかった・・・)

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