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5月ある日

いつもはお風呂に入った後、あとは尻を鍛える目的のストレッチと就寝の間にはさむ日記を書く時間を、今日はなんとなくお風呂の前に書いてみる。

最近は心が重く、ろくに家のこともしない事を決めてどうにか過ごしているけれど、日記と尻を育てる(保湿とかもする)ことができれば今日も生きたと思うし、明日に繋いでいる感じがしてよしとしている。

2月に初めて寝坊の遅刻をして以来、なんとなく寝坊の恐怖を感じる夜はあの飛び起きた朝を思い出すようにしている。

あの日は、特に原因らしい原因が思いつかない寝坊で改善の余地がなく、注意をしてくれた上司に相談したほどだ。上司からも救われるようなアドバイスはなかった。(呆れていた)

社会人として、朝きちんと起きることがいかに重要かということは周知の事実であるのに、各人に任されすぎている事柄のようにも思う。体調管理と同列であると言えばそうなのだけれど、毎日社会人としてスタートラインに立つのが、まず万全な起床からという事が完全に精神論で成り立っていて恐ろしい。

起き抜けから胃が重く吐き気を抱えながら出勤。それでも、一瞬の、雲の切れ間のような空腹の隙に朝食を詰め込み、時間もおかずに後悔することになる。

上司と、忙しさに愚痴をこぼしそうになると、戒めるように、呪怨のように仕事があって有難いことだけどねぇと言い合う。
発言するタイミングが重なった時のハッピーアイスクリームのごとし。
社会人やってるなと実感する瞬間である。仕事があるのはありがたいが漏れや間違いの多い仕事が多発し気持ちの処理が追いつかない。

昼は久しぶりに用意した弁当を食べる。木曜日は会社からインスタントの味噌汁を支給してもらえる。
本を読みながら食べる。おととい名古屋のon readingから届いた「新百姓宣言」。なんとなく読んでみたくなって購入。
私の入金も早いと思うが、発送が早く、クリックポストで届けてくれるので助かっている。

近所のTSUTAYAは閉店したし、そもそも小さな出版社の本を取り扱っている店が少ないので、こちらに越してきてからは個人店のオンラインショップで本を買うことが増えた。

オンラインショップは店頭で購入するよりしっかりと履歴が残るはずで、いつか店頭に立ち寄った時に会話のタネにしたいという下心をすくすく育てている。

忙しい上司を差し置いて先に退勤する。

考え事をしながら帰りたいので音楽を聴くか何も聴かずに帰りたいと思っているけれど、いつものようにTBSラジオ「生活は踊る」を聴きながら帰る。

帰路の途中、やはり寒いと思い途中自転車を止めてパーカーを着る。

帰宅後は久しぶりに自炊。
随分前に目的を持って買ったはずの野菜、特にパプリカなんかの、目的を失い萎れているものを使ってカレーを作る。

昔好きな人に一揃えしてもらったスパイスカレーに使う香辛料を目分量で恐る恐る使うが、結局ドライカレーの素を使って仕上げ、濃ゆいカレーが出来上がった。

ゆでたまごも茹で、シンクと排水溝の掃除も久しぶりに敢行。
昔流れていたカビ取り剤のCMか何かのワンシーンを思い出しながらギョッとしつつ洗う。
生活するというのは汚れていくことなんだなとなんだか愁傷気味。気持ちが病み上がりのようだ。

仕事中、17時くらいに、ふと好きな人から卒業する、という選択を思ついてしまった。

妙にしっくりきて、しかしそんなやんわりとした言葉での別れは自分が許さないと思いつつ、決定的な言葉は怖くてとても口にすることができないままだ。

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