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お散歩日記

母と氏神様まで散歩した。
お参りとお花見も兼ねて。

アスファルトの間から生えている若草には物語を感じる。

土の上に郡をなして咲いている草花も素敵だが、
アスファルトや敷き詰められた石の間から顔をだしている草花には、そこに至り、芽を出すまでの何か物語性を感じずにはいられない。

桜が満開だ。

曇天なのが惜しいが、
薄灰色の空の下、真っ白に咲き誇る桜並木は、
美しかった。

きっと来週末には雨風で散ってしまうのだろう。

短い栄華。

桜とはいつもそういうものだから。

でも、だからこそ満開の瞬間が愛おしく、
貴重で、私の心の中に毎年強く残る。

華やかさと、散ってしまう寂しさがセットで。

母と他愛もないことを話ながら歩いていると、
私は母とこうして並んで、穏やかに散歩するためにこの世に生まれてきたのかもしれない、なんて気持ちになったりしてくる。

小さな頃は、手を引いてもらって、公園へ行ったり、こうして桜も一緒に見た。

大人になってもこうして一緒に並んで、
何でもないことを話ながら、
綺麗な桜並木を眺めていると、
じんわりと幸せな気持ちになる。

母がポツリと、
「こんな綺麗な桜も見れたし、もう思い残すことはない」
と言う。

桜には、人をそういう気持ちにさせる何かがある、と思った。

桜を見て、桜のお菓子が食べたくなった私たちは、
帰りに和菓子屋さんで道明寺を買った。

家の中にも桜の香りを運ぶ。

帰り道、近所でお店を開いている同級生らしき人が、奥さんと歩いているのを見た。

私は、その同級生と仲が良いわけでもなかったので、そのお店には行ったことはないのだけれど、
なんとなく面影でそうかもしれない、と思った。

なんかワイルドになっていた。
奥さんは、とても綺麗な人だった。


散歩しながら、ふと思ったことがあって、
自分でさえも、あの時良いと思ったものが、
別の瞬間には、あんなもののどこが良かったんだろうと思うのだから、他人が自分の好みと違っているのなんて当たり前なんだよな、と思った。

深夜特急3の中で、沢木さんが、
当時旅の途中で泊まった時はなんて綺麗なホテルだろうと思ったのに、改めてそのホテルに行った時、なんでこんな汚いホテルを綺麗だと思ったのだろう、と書いていたのを思い出して、そう思ったのだ。

そういえば、シークエンスはやともさんの「あなたの知らない霊の世界」という本に、お祓いの方法が書いてあったのだけれど、その1つに、氏神様に毎日お参りに行くと良いとあった。

お祓いのために行っているのではないのだけれど、
やっぱり目に見えない何かの力ってあるよな、と思った。

いつも、私達を守ってくださる神様たちに感謝です。

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