祈りについて
村上和雄さんと、棚次正和さんの
「人は何のために「祈る」のか」を読んだ。
私は、毎日夜お祈りしている。
また、どうにもならない時や、気持ち落ち着かない時もよくお祈りする。
そうすると、気持ちが落ち着いて、
安心できるからだ。
でも本書は、遺伝子の研究をしている著者なので、スピリチュアルな見地からだけでなく、
科学的な見地からも考察してくれているので、
祈りの効果について、説得力がある。
祈りというと、宗教的なイメージや、
気休めというイメージがあるけれど、
本書には、「祈り」により病気が完治したり、
偉業を成し遂げたりと、祈ることにより奇跡が起こることについて、書かれている。
そもそも元々は、「科学」と「宗教」は別れておらず、アインシュタインもニュートンも、歴史上の科学者たちは皆、非科学的なものにも感心をもっており、畏敬の念を抱いていたという。
現代社会になり、「科学」と「宗教」が分離して、何でも分かった気になっているけれど、
まだまだ未知のものは沢山ある。
もちろん、「祈り」だけに頼り、奇跡ばかりを願って何もしないというのは、意味がない。
でも、「祈る」ということには、
私が思う以上の力があるのだと思った。
例えば、本人の知らないところで、
その人の病気の快方を願ったところ、
完治してしまった例がいくつもあると言う。
また、私たちは、意識せずとも「生きる」ことが、「祈る」ことだと著者は言う。
私達は皆、よりよく生きたいと願っている。
それは、もう祈りであると。
「祈り」は「執着」とは違う。
祈って、叶う場合と、叶わない場合があることについても書かれていて、私はそれが一番府に落ちた。
著者曰く、「調和」と「感謝」、「最適解」がキーワードになるようだ。
自分の利益ばかりを願うのではなく、
全体の調和にとって良い視点で願うこと、
「ない」ことに焦点を当てるのではなく、
常に感謝の気持ちを持つこと、
これが祈りの効果を大きくするようだ。
夫の浮気に悩まされていた女性が、
相手の女性を呪うのではなく、祝福し、忘れるようにしたら、夫は相手の女性と別れたケースもあったようだ。
そして、「最適解」とは、
「祈りの効果は考えられる可能な答えの中でもっともふさわしい答えを導き出す、つまり「最適解を出す」」
と本書には書いている。
例えば本書には、トマトの例があげられている。
祝福されて結婚した2人別れる場合なども、
別れた時点で、「悪いこと」と決めることはできず、長い目てみたら、別れて良かったことになるかもしれないと書かれていた。
こういうことは、私自身も感じていて、
一見叶うと良さそうに思えたことでも、
あの時、叶わなかったからこそ、
出来たことがあったな、良かったな、
と思うことは沢山ある。
正しく祈れば出る結果は「最適解」。
効果が現れた人は「そうなる必要があった」、
現れなかった人は、少なくとも当面は「その必要がなかった」と、著者は書いている。
この考え方なら、少し気持ちも楽になる。
自分にとって最適なゴールにたどり着く道は1つではない。
自分が固執していた願いとは別の場所や方法に、
幸せがあるのかもしれない。
また、ある特定の人と結婚したい等と特定の人やもの、結果にこだわるのもよくないとのこと。
「あの人のような人」という祈り方なら、
可能性のグッと上がるそう。
「あの人」にこだわると、その人が死んだときや、
断られた時に、願いは終わってしまう。
また、実際のその人を見ているのではなく、
理想化したその人を見ている場合も多く、
本当の自分の願いとは、かけ離れている場合も多いとのこと。
これも分かる気がする。
遠くから見たら素敵に見えても、
実際に関わったら、自分にはちょっと荷が重いとか、居心地が良くないということは、
多々ある。
人が祈ることの大きな目的の1つに、
「心が安定する、ブレない生き方」ができるという効用があると、著者は言う。
昔から人々は、病や災害等、様々な悩みと対峙しながら生きている。
その不安定な心を吸収したのが、宗教であり、祈りだったと言う。
祈りを捧げていると、
心が落ち着き、心の中に中心軸できて、ブレない生き方ができるようになることに、人々は気がついたと。
日本の天皇は、政治をする人ではなく、
「祭祀王」、専門に祈る人。
日本人は、もともと祈りの民であったと言う。
私たちの根元には、祈りがある。
「祈り」という、曖昧で少し難しい議題について、様々な角度から書かれた本書。
きっと読んだら、あなたも祈りたくなるハズです。
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