見出し画像

困難を楽しむ

自分の意思とは無関係に、自分にとって負担が大きく感じることを任されたり、巻き込まれたりすることがある。

そういう時、嫌だなあと、もちろん思うのだけれども、自分を成長させるチャンスでもあるのかもしれないと思う。

例えば、少し困難な誰かに仕事を教えなければならなくなった時。

人に何かを教えるって、忍耐と寛容さが必要だと私は思っている。

相手は人である以上、自分の思う通りには動いてくれない。しかも最初は知らないことを覚えてもらうのだから、理解に時間がかかるの普通だ。

また、相手のミスや間違いを添削してあげたり、
尻拭いが発生することもある。

教えている間は自分の仕事も出来ないため、
終わってから残業してやることになったりもする。

大変な面も多い。
でも、「教える」ってそういうことだ。

新しく入ってきた後輩が、なかなかすぐに色んな事を覚えられないと、ついイライラしてしまったり、
焦らせてしまいそうになるけれど、

本当は、別に物覚えが悪いわけではなく、
物事を覚えるのには時間がかかって当たり前であって、自分自身も時間がかかっていたはずだ。

新人さんが、自分の意見を言ってきたり、
ちょっと態度が大きく見えるようなことをすると、つい直さなきゃと思ったりしてしまうけれど、

新人さんというのは、ただ自分より後に入ってきた人というだけで、指導する側がその人を支配したり、思い通りにしたりはできない。

仕事のやり方や、仕組みなどを、知らない人に教えてあげるのは当然の責務として、その人が理解した仕事をどのように進めるのかということは、教える側がコントロールするべき範疇ではない、と私は考えている。

ちょっと仕事について多くを知っているからと言って威張ったりは出来ないんだよな、と思う。

人間は基本的に対等なのだ。

自分の方が上だと思っているから腹がたつ。  

とにかく人を育てるということは、忍耐力を試されているのだと私は思う。

そりゃあ、自分の仕事だけしてる方が楽に決まっている。

でも、自分だって誰かに教えてもらってそこまでやってこられたはずで、年次を重ねたら、それを何らの形でお返ししなければならない時来るのだと私は思う。

プラスとマイナスがあるように、足すことばかりでは、きっと人生は傾いてしまう。
いびつになってしまう。

自分にとって困難に思えること起きた時、
それは本当はチャンスなのかもしれないと思う。

新しい仕事を覚えなければならないとき、
覚えて出来るようになったら、知識が増え、
もっと多角的に仕事を捉えることが出来るようになった。

そして、誰かに「教える」ということも、
いつも私を成長させてくれる。

私は、「教える」ということが実は嫌いではない。
多分一番最初に自分を教えてくれた先輩が、温かく、優しかったからだと思う。

いつだって、私の基準や見本はその先輩だ。
(思い返してみれば、数々のバイト先でも、教えてくれる先輩たちは皆優しく優秀な人たちばかりだった。私って恵まれている‥)

だから、例え、少し困難な環境で自分の負荷が増えたとしても、楽しんで乗り越えられれば良いな、と思う。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?