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努力

努力って、目的が最初にあってこそ
生きるものなのかもしれない。

部活も受験も就活も、
自分の持っている力が人間社会の中で、
どの辺の立ち位置にあるのかを、
知るのには良いと思うんだけど、

それ自体を目的みたいにしちゃうと、
どこへも行けなくなって、袋小路に入っちゃう気がする。

本当にやりたいこととか、
自分の力を社会に役立てる職場にたどり着くためのツールとしては必要なこともあるけれど、

それらは、
儀式みたいなもので、
力比べみたいな側面もあって、

自分の限界を試してみようとか、
軽い気持ちや楽しめているうちは良いけれど、

周りと比べて自分はダメだと思い始めたり、
精神や体調崩してまで自分を追い込んだりするのは、違う気がする。

だって、それらはツールでしかないのだから。

漠然とした良い学校とか、良い職場とかって、
名前が通ってるとか、安定しているとか、
信用できるとかって色々な理由はあるんだけど、

確かにそういう側面もあるし、
小さなところや、無名であるが故に、
設備や保障がしっかりしてないってことも、
あるんだけど、

その前に、
自分の心が置いてきぼりになっちゃうんだよね。

何でここにいるんだっけ、とか、
だんだん生きてる意味も分からなくなって来たり。

大きなものに守られている分、
育たない部分や、麻痺しちゃう部分が出てくるし。


ところで、
心の奥深くで考え方が180度くらい違う人と接している時って、

お互いちゃんと日本語で会話しているのに、
全く上手く噛み合わなくて、
空々しくて、消耗する。

それは例えば、
声は明るくて、大きいし、
言葉遣いも丁寧で、ポジティブなのに、

どちらかに相手を利用してやろうという下心や、
相手をさげずむような気持ちを持っている場合とか。

こちらが返す言葉をちゃんと受け取ってないし、
誠実に対応するつもりがなかったり、
心から感謝していなかったりって、

表面的な「言葉」とか「声のトーン」で誤魔化しても、分かっちゃうものだよね。

心と心が通じないって、
人間同士だと、辛いよね。

と、なんとなく思った。



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