足跡
思いついたそのときに、
思いついたことをしないと、
勢いは消えてしまう。
身体にとってその時々で
欲する栄養が異なるように、
心(魂)にとっても、
その時々で必要な行動は違うのだと思う。
約1年前、
とある人の薦めで始めたnote。
地味に毎日更新していると、
その時々の自分がどんな気持ちで、
どんな考えを持って過ごしていたのかが分かる。
毒づきたい気分の時、
穏やかな気分の時、
何かに気づいて残しておきたいと思った時。
私は、万人受けしなくても良いから、
自分の気持ちに正直でありたい、と思って
このnoteを記録してきた。
書くこと、書かないことがあるにしても、
書くと決めた内容には、自分の偽りがないように、
出来るだけその時の自分の本音に近い言葉を選ぶようにしてきた。
その記録は、足跡のように続いている。
誰かのnoteを読むとき、
その人の生きている証を読んでいるのだと思う。
ケータイに羅列された文字の集合ではあるけれど、
その向こう側には生きた人間がいて、
毎日何かを考えながら生きている。
そして、
それぞれの人が、それぞれの言葉で、
記録を残している。
ご縁があって読ませていただいた記事たち。
川の流れのように、
去って行く人がいて、
そして逆に新しく始めゆく人がいる。
その足跡は続いている。
最近、プライベートでも色々あって、
少し気持ちが疲れていた。
なるべく、
悪い方に考えて心の中で騒ぎ立てないようにしようと思っていたけれど、
気がついたら色んな感情に呑み込まれていて、
刺激の許容範囲をオーバーして、
些細なことにも腹が立つようになっていた。
落ち着いていた時の自分の記事を読んで、
冷静な自分を少し思い出した。
物事それ自体には良いも悪いもなくて、
自分の捉え方次第なんだよな、
と思い出した。
どんな環境でも、
良い面に目を向けることはできるし、
誰かを責めることよりも、
起こったことを嘆くよりも、
ただただ今を、
自分にできる最善の行いをして、
淡々と明日に繋げていく方が良い。
イライラすると、
落ち着いて立ち止まることを忘れてしまうから、
気をつけなければいけないな、と思う。
特に、自分の中のイライラだけなら、
対処も出来るけれど、
他人がワーッて煽ってくると、
(私を責めるとかじゃなくて、愚痴をワーッって言ってくるとか、怒ってる人とかが近くにいると他人の感情に引っ張られやすい)
我を見失いやすいから、
HSP特有の影響の受けやすさを自覚して、
焦ったり、今落ち着いてないと思ったら、
どこかへ少し避難して、
心を冷静にしなきゃ、
ミスしたりして悪循環だなと思う。
偉人と呼ばれる人ほど、
おっちょこちょいな面とか、
型破りな面があったと伝記とかでよく見る。
彼らは、そんな自分を責めることなく、
小さなことは気にしない。
皆に迷惑かけることも多いけれど、
最後は愛されている。
偉人ですら、ミスや迷惑かけてしまうこと、
それが原因で悲惨な状況になったりすることもあるのだから、
一般人の私が全てを完璧にこなすことが出来ないのは当然だし、そんな自分を責める必要はないのではないかと思う。
そんな風に思った。