なりたい人がいた
私は、ずっと自分とは、違う人になりたかった。
小学生の頃は、字が綺麗で、頭も良くて、足も早い女の子に憧れて、彼女になりたかったし、
中学生の頃は、当時の流行にしっかりと乗っていて
少し気が強めな明るい女の子達が眩しくて、彼女達みたいになりたかったし、
高校生の頃は、いつも明るくて、人付き合いの上手い、私よりお金持ちのしっかりとした家柄に生まれた女の子みたいになりたかった。
大学生になったら、街角でスカウトされそうなお洒落な子や、綺麗な子、その上頭も良くて機転もきくような女の子達が羨ましくて、そんな風になりたかった。
社会人になったら、同じ職種の先輩達が皆素敵に見えて、上司も混じるような社会人の飲み会でも、
そつなく上手くこなして、冗談も上手く受け流し、相手を良い気分にさせ、場を壊さず、冷やさず、まだ新人だった私の立場も考慮した振る舞いができる先輩達が憧れで、自分もそんな風になれると思っていた。
でも、実際は、15年近く経っても、飲み会で上手く立ち回ることも、行き過ぎた上司を諌めることも出来ないし、全然憧れの先輩にはなれなかった。
いつも、いつも、違う誰かになろうとして、
そして、なれなくて、
違う自分を演じようとすると、苦しくて、
気持ち悪くて。
だって、いくら飲み会の席だって、嫌なことを言われたら嫌だし、上手に笑って冗談で流せない。
そもそも、
生きてきた流れが違うし、
付き合ってきた人も違うし、
経験してきたこと、見てきたことも違うし、
育ってきた環境や価値観も違うし、
憧れのあの人の上部だけ真似したって、
なれる訳がないのだ。
茶番だ。
素敵なところは、見習いたい。
素敵なところは、取り入れたい。
それで良いのだ。
別に憧れのあの人にならなくて良い。
何故、憧れのあの人になりたいかって、
そういう人達はいつも、周りから一目置かれて、
大切にされているように見えたから。
そんな風になれれば、自分の自己肯定感が満たされると思ったから。
でも、きっと、彼女達にも、悩み苦しみはあって、
それぞれの人生を必死に生きている。
社会人になって、どんなに美人な人も、どんなに仕事ができる人も、誰かには、何か言われているし、ストレスで体調を崩してしまう人も何人も見たし、幸せだけで生きてる人なんていないって知った。
だったら、他人からの肯定を求めたって、
結局は得られないってことだ。
素敵だなあは真似したい。
素敵だなあは取り入れたい。
でも、その人にならなくて良い。
私は私。
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