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自分は間違っていると思ってしまう心理

自分は間違っていて、他人の方が正しいと思ってしまう心理には根深いものがありそうだな、
と思った。

私は割と幼少期から、自分は人より劣っているのだろうか、人と違うのだろうか、と、自分を肯定出来なかった。

確かにちょっとどんくさかったり、
トロかったりはしたと思うのだけれど、
今思えばそんなに自分を卑下する必要があるのだろうか、と思う。

でも、今でも私は、つい自分は間違っていて、
他人の方が正しいんだ、と思ってしまう。

多分、幼少期、当時家庭の事情で色々苛立っていた母から、性格を矯正されたり、他人と比較されたりして、自分はそのままでは愛されない、受け入れられないダメな人間なんだ、と思い込んでしまったのだろう。

学校も私の自信を失う要因の1つになった。

先生から可愛がられる子と、そうでない子。
人気者になる子とハブられる子。

狭い教室の中で、唯一の友人を失う恐怖。

あの子の言うこと聞かないと、
友達いなくなっちゃう、とか、
皆に合わせないと、ハブられる、とか。

大人になった今なら、
そんな呪縛からはさっさと解き放たれた方が良いと分かっている。

でも、理屈ではなく、
根深いところに自分を肯定できない気持ちがあり、
反射的な体と心の反応出てしまうのだ。

これは、そういう気持ちが出てくる都度、
丁寧に自分と向き合い、
自分の中に生まれた誤解を解いてあげなくては、
無くならないだろう。

そうしないと、疲れ続けることになってしまう。

自分が間違っていて、
他人が正しいとなると、
自分の人生を生きることが出来ないからだ。

他人と自分との間に勝手に作り上げた幻想の上下関係、主従関係を取っ払う必要がある。

その裏には、やっぱり恐怖心がある。

そのままの自分では愛してもらえない、
という恐怖。
友達に合わせないと、クラスで寂しい思いをしてしまうという恐怖。

誰かの言うことを聞かないで、
自分で突っ走ると、
失敗してろくでもないことになる、
という恐怖。

それらは全て幻想なのに。

でも、自分を卑下する考え方は危険で、
紙一重のところで、逆転して、
他人見下す要因にもなりかねないんだ。

だって、「自分」を見下してるんだから、
「他人」だって、尊重できない。

自分の許せないポイントを他人の中に見つけたら、
心の中で無意識に見下してしまうのだから。

自分を見下すことは、命を大切にしていない。

絶対の正しい答えを持っている人なんていないし、
皆失敗もする。

誰かを上に持ち上げて、
「正しい」とすることで、自分を守ろうといていたのかもしれない。

HSPの何にでも敏感、過剰に感じてしまう性質のせいもあって、色んなことが怖い。

だから、身や心を守る為に、
自分を誰かの下に置くことで、
色々なことを考えないようにしているのかもしれない。

誰かを正しいとすれば、自分で考えなくて済むから。自分のせいにしなくて済むから。

自分の頭で考えて、自分で失敗することから、
逃げていたのかもしれない。

ちゃんと自分で失敗する。
ちゃんと自分で嫌われる。

自分の人生を生きるってそういうことなのかもしれない。

誰かの機嫌をとり続ける人生はしんどい。

大丈夫。
頭の良し悪しは関係ないし、
人間の器の大きさも関係ない。

あの人と私は対等だ。

どっちが正しくて、どっちが間違っているとかじゃないんだ。

好かれなくて大丈夫。
もう学校じゃない。
(例え学校でも大丈夫。)

間違っていたって、大丈夫。
ビクビクしなくて良い。

本当に間違っていると、心から納得できたなら、
直せば良いよ。そのための人生だもん。

悪いことが起こるのも、
私が悪い人だからじゃない。

誰にでも、良いことと、悪いことは半々起こるよ。

たまたま起こった悪いことで、
自分を責めない。

堂々としていよう。
飄々としていよう。

軽いエネルギーで。
罪悪感や劣等感は捨てよう。

大丈夫。
私は、誰かより劣っているわけではない。

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