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休日考えたこと色々

連休を取得し、1週間くらい会社に行かなくて良いと、体も心も別人みたいに軽くなる。

朝、早起きしなくて良くて、
1時間近く立ちっぱなしの電車に乗らなくて良くて、
他人に合わせなくて良くて、
他人に気を遣わなくて良くて、
しなければならないこともないという状況だと、

こんなにも自然に、前向きな気持ちになり、
やってみたいことや、行ってみたい場所が沸き上がってくる。

仕事が遊び、楽しんで仕事をしている、
という人を、たまに本とかで見るけれど、

週のほとんどを、いや、人生の何割かを費やす仕事を楽しめるなら、人生はずいぶんワクワクしたものになるだろうな、と思った。

抵抗するものや、悩ませるもの、
囚われるものがないと、

体の中を流れる川である血液が、
私の人生で楽しかった記憶、ワクワクした記憶等、
甘やかな記憶を運んでくる。

何もしていないのに幸福で、
次々に心地よい良いイマジネーションが浮かぶ。

誰にも否定されない、
誰にも何も押し付けられない、
そういう状況だと、

私は自動的にポジティブになるように出来てるみたいだ。

心も体も疲れていないということが大きいのかもしれない。

もしも、働かなくてもお金が潤沢にあったら、
色んな国へ行って、沢山の絶景や世界遺産を見たい。
やっぱり海外は、私にとって未知のものを沢山教えてくれる刺激的なものだから。

でも、働いていると、一週間の休みの間に海外旅行へ行くのは、とてつもなく疲れるから、ちょっと躊躇してしまう。

他人を変えることは出来ないとか、
自分のしたことが返ってくるとか、
自分の出しているエネルギーと同じ波動ものが引き寄せられて、起こるとか、
引き寄せたい理想まで到達する道のりは選べないとか、

この世の仕組みを頭で理解することは出来るけど、
実践するのは難しい。

鏡のように映し出された現実を見て、
怒ったり、不安になったり。

怒りって、自分の不安が刺激された時に起こるのかもしれない。

同じことを言われても、同じことをされても、
怒り出す人と、何でもない人がいるのは、
自分の中に、そのことに関する不安があるかどうかなのかもしれない。

どんなに「あなたの為を思って」とか、
上から抑えつけたり、強制したり、
嫌みを言われたり、画策されたりしても、

本人がそうしようと思わない限りは、
他人の行動を変えることは出来ない。

自分自身に置き換えてみると、よく分かる。

誰かに偉そうに上からアドバイスされても、
その場では聞いてるフリはするかもしれないけれど、自分の価値観や考え方までは絶対に変えない。

というか、変えられるものではない。
でも、それで良いんだと思う。

だって、自分の人生は自分のものだから、
自分を変えられるのは自分しかいない。

多分、スピリチュアルとかで、良い気分でいると、その気分にあった現実を引き寄せるっていうのは本当だと思う。

良い気分になれるものを日々選択していくということが、穏やかな気分を作り出し、穏やかな現実を構築する。

ただ、多分退屈が大きくなってくると、良い気分ではいられなくなって、新しいものを求めてしまうような気がする。

自分にとって不都合なことが起こったときも、
穏やかではいられない。
本当は物事の良い面を探す必要があると思うけれど。

そして、今いる現実から、理想まで遠すぎるときは、途中で挫折しやすいんだと思う。

理想に到達するまでの道のりは選べないから、
途中で、良い気分でいられなくなったり、
その理想はもうナシで!という気分になってしまうのだと思う。

人生って、その過程を乗りこなすことが目的なのかも。


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