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頭よりも心で感じる

体はどの部分も大切だけれども、
脳と心臓は破壊されたら、
死んでしまうくらい重要なポジションの部分だ。

何かをする時、誰かの話を聴くとき、
頭で考えることと、
心で感じることが違うことがある。

考えることの方が重きを置かれやすい世の中だけど、意外と心は核心をついた自分にとって
「正しい」感覚を教えてくれることもある。

学校や会社では「覚える」ことや「考える」ことなど、「頭」を使うことを要求される場面が多い。

ゆっくり「心」の声を聴くことの大切さを促してくれる場所は少ない。

「言葉」1つとっても、誰かの口からでる時、
「額面」通りじゃないことは多い。

それを本当に信用して良いかどうかは、
自分の直感とか感覚を信じた方が良い気がする。

その「行動」1つするかどうかも、
「額面」通りするかどうか。

しなければならないとして、
本当に「今」、「そのやり方」しかないのか?

自分の心がもっとしっくりする方法があるのかもしれない。

心の導きを信じた方が良いときもあるのかもしれない。

心の声は、別に楽することばかりでなくて、
時には、「え、それするの?」というようなことや、勇気が必要な場合もある。

学校や会社って、授業中、就業中、雑談したり、
お菓子食べたりして「リラックスする」ことを排除しようとする傾向がある。

生まれてからの一週間のうち、
活動できる大半の時間を学校と会社で過ごすのに、
その間、雑談したりリラックスできないなんて、
体に毒だなあ、と思う。

狭い室内でお互いを監視しあって、
ギュッと苦しくなることがある。

最近誰かの眼が気になったり、
緊張したりした時に、
自分にかける暗示の言葉がある。

「誰も私を脅かすことは出来ない。
 誰も私を傷つけることは出来ない。
 私が許可しない限りは。」

大きな音で、怒りを表現してくる人にも、
不機嫌そうなため息も、

私がそれを受けれない限りは、
それによって私が動揺することはない、

と心に決めている。

大きな音が苦手だし、
人の感情も拾いやすいからこそ、

そうした暗示を自分にかけることで、
大切な自分を守りたいと思う。

多分、誰かの不機嫌を拾わないこと、
影響を受けないことは、
その人にとっても、周りにとっても良いことだと
思う。

悪いものを拡散しない。
怒りやマイナスの感情を増幅させるよりも、

穏やかさや、落ち着きや、
温かさなどを拡大したい。

世間の言う「正しさ」ではなく、
人間としての「温かさ」を優先できる人になりたい。

大変な状況も、
困難な場面も、
多分、人と人との間に流れる温かさや、
良好な関係性があれば、

人はそんなに辛いとは思わないものなんじゃないかな。

何にそんなに追われているのかも分からないけれど、私たちは謎に追い立てられ必死に真面目に働くことを、勉強することを要求されて、

色んなものを背負わされて
楽しんだり、リラックスしたりすることを忘れがち。

頭ももちろん大切だけど、
心も大事だよ。




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