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自分の中に哲学をもつ

周りで何が起きていても、

周りの人たちがどんな考えを持ち、
それを口に出したり、行動したとしても、

自分の中に一本軸とか哲学を持っていれば、

惑わされたり、踊らされたり、
必要以上に疲れたりしないのかもしれない。

例えば、
誰かが自分の好きなものを嫌いだと言ったとしても、

それを好きであることの理由を自分でしっかり納得していて、
誰かに迷惑をかけるようなことでなければ、
他人の意見など無視して、
堂々と好きでいれば良い。

例え、相手から気持ち悪がられても、
もっともらしい理論で論破しようとしてきても、
そんなのどこ吹く風で気にしなければ良い。

時々、口に出すだけでなく、
威圧的な物音を立てることで、
自分の不満を表したり、
自分の思い通りにしようとする人がいるけれど、

相手が本当に正しいかどうかは、
落ち着いて考えなければならない。

同情を買おうとする人も然り。

人の情念を受け取りやすいHSPの人とかは、
つい相手の不機嫌や悲しみを拾ってしまい、
何とかしなければ、と思ってしまうけれど、

本当に何とかしなければならないのか、
冷静に判断しないと、自分が消耗してしまう。

そういう時、自分の中に哲学があると、
違うと思うのだ。

自分はどういうことを正しいと思うのか、
どういうことは許せないのか、
どういう方針で生きていきたいのか、

そういうものを自分の中でハッキリさせておけば、誰かの価値観にいちいち狼狽えなくて済む。

例えば、自分より弱い人間に対する考え方はどうなのか。

強く鍛えるべきという人もいるだろう、
弱い人には寄り添うべきという人もいるだろう、
人は人、自分は自分と距離をとる人もいるだろう。

別にどれが正解とかはないと思う。

ただ、自分はどうしたいと思うのか。
どうしてそうしようと思うのか。

そういう裏付けがハッキリしていれば、
ただ単に癪に触るから意地悪してやろうとかは思わなくなるだろうし、

周りの人間が例えそうしていたとしても、
自分はそうしない理由が自分の中にしっかりとあるから、そういう時の対応や言動にも、迷いがなく心と体が一致した行動がとれる。

自分の中に哲学があれば、
逆に誰かがそういう人に親切にしていても、
自分が思う以上に無理に親切にする必要もないし、
嫉妬する必要もない。

そういう哲学は、
それを突き通した時に、
周りの人間から、綺麗事だと言われたり、
話が通じないやつだとか、
気持ちを分かってもらえないと相手から思われたとしても、構わないし、
そんなことで揺らぐ価値観ではないというところまで、しっかり自分で納得しておく必要がある気がする。

人から嫌われたり、非難されるというのは、
なかなか勇気がいることだし、

今まで馴れ合ってきた人だったり、
少しでも利害関係があったりすると、
怖いものだと思う。

でも、自分の中で、「間違っていない」というところまで落とし込んでいたら、逆に信念そぐわない上部だけの行動に気持ち悪さを感じるんじゃないかと思う。

そもそも、「自分」という人間がそれは違うとハッキリと思えるまで突き詰めた結果受け入れないのだから、それを尊重してくれない人と無理して付き合う必要はない。

仕事などで、相容れない人とどうしても付き合う必要がある場合は、必要最低限の関わりにとどめて、
必要以上に自分のプライベートな部分まで相手を介入させない、心許さないというのも手だと思う。

そういう場合でも、自分の中にしっかり哲学があれば、相手から何を言われようとも、
自分の中に迷いは生まれないし、
自分責めたり、疑ったりする必要もない。

自分はちゃんと理由があって、
そういう行動をとっいるのだという、
自分に対する信頼があるから。

ただ、淡々と正しいと思うことをする。

嵐の中にいても、
嵐で破壊されたような所にいても、

ただ淡々と自分に出来ることを、
正しいと思うことをする。

ノリとか、同調圧力で、軽々しく不本意なことをしない。

一呼吸おいて、
それ本当に呑み込まれる必要ある?
って自問自答してみる。

ノリや共感が人を救うこともあるのは重々承知で、
自分の中に違和感があるときは、
流されないで、一旦止まってみる。

目の前の誰かに変に思われても、
「違う道」に進んでいかない。

それって実は大切なことだったりしないかな、
と思う今日この頃。

一人ひとり違う哲学を持っているからこそ、
世の中は成り立っていると思うし、

一人ひとりがちゃんと良心に基づいて、
落ち着いて考えれば、
そんなにヒドイことは起きないんじゃないかな、
と思う。

楽観的かもしれないけど、
その時の一時的な感情や、同調圧力やノリで、
不特定多数の人間がよく考えもしない行動をするよりは、マシなんじゃないかと思う。

仕事もライフスタイルも、
自分の中の哲学を確立していれば、
自分ばっかり損してるとか、
あの人ばっかりズルいとかもなくなる。

自分はどう働きたいのか、
どういう働き方が自分にとって正しいと思うのか、
それに沿って生きればいいだけ。

キャパ以上のものは断れば良いし、
出来ることは、怠けないでやる。
それだけ。

良い顔もしない。
卑屈にもならない。

自分という人間をよく見つめて、
怠けもしない、無理もしない、
等身大の正しい形をみつけていけたらいいな。

私もまだ模索中です。

 

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