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頑張れつまみ食い

コラム『あまのじゃく』1956/6/12 発行 
文化新聞  No. 2193


役人亡国の恐ろしさを知れ‼

    主幹 吉 田 金 八

 農林省の一事務官が20億円もの農業共済資金の割り当てを自由にし、一億円に近い金を胡麻化していていたという事実は、官界の腐敗を如実に物語るものとして国民に多大の興奮を与えている。
 記者は、文化新聞創刊以来、官吏亡国論、役人十分の一削減論を唱えている位で、今更このくらいのことが起きたとて、『氷山の一角さ』と当然の事くらいにしか考えていないので、改めて腹を立てるのもバカバカしい。
 しかし、一般には20代の若造が1億円のつまみ食いを仕出かしたと云う事がかなり衝撃を与えたらしく、現在の政治機構の是認者であり、万事事なかれ、長いものには巻かれた方が得だと考えている、いわば利口な世渡り人として、記者が平素から感心している市議吉田重治郎君などまでが『こんな馬鹿な事ってありますかよ!』と記者の顔を見るや、繰り返して憤慨しているのはおかしかった。
 記者は詳しい数字は知らないが、戦争によって非常に省予算も人員も膨張し、終戦になってもその膨張したまんまの陣容を保持しているものの最たるものは、農林省ではあるまいか。
 農林省とは昔は営林署と農事試験場位を所管する、一番日陰者の存在だったのが、戦争の食料難で食い物が人気の脚光を浴びるや、これに便乗して食料の統制増産で相当のキメ手を握る重要な役所になった。
 これも戦争中は仕方がなかったとしても、戦後食料が有り余って来たからには、その機能、所管、人員を十分の一にも縮めて間に合うし、縮めるべきであったものを、己が位置を失うまいとする役人共が何のかんのと理屈を付けて地位と権限の温存を図り、これを守り通してきた役所である。
 役人が多すぎて予算が余りかえる、仕事は「しないでもがな」の仕事とあっては、首脳部でもゴルフや宴会で役所をさぼり、下役人も何か金儲け仕事を企むというのは自然の成り行きである。
 『小人閑居して不善をなす』というが、小人ならずとも暇と金が余ったら悪い事をするのは当然である。このつまみ食い事件の報道で農業共済保険の仕事が農林省の仕事だった事を知ったが、こんな仕事こそ民間の会社に任せておいたら、どんなに能率的に経済的に運営されるか分からない。
 記者は戦争中第一生命の外務員を2年ほどやった経験があり、東京支社に所属しており、支社が丸の内の本館の2階にあった関係から、本社の業務、経営管理の実際を片隅から覗いていた。あの位合理的、能率的な経営のやり方は、まず日本では他のどんな大会社にもあるまいと感心したものである。
 もちろん保険会社、特に外野は完全な能率給で、働きに応じた収入になっているが、月給の決まった内勤にしてみても、実に労務管理が行き届いており、気持ちの良いくらいである。そうした有能な事業経営者に農業共済保険なども任せたならば、つまみ食いなどしたくても出来ず、国家が一銭の援助無しに、立派に相互救済の保険制度を運営して行けるのではないか。
 これに比すれば、私が戦争中軍の御用商人の外交として、しばしば行ったことのある陸軍需品本廠、航空本部、東京都、商工省などのセクト主義、日暮し御門の不合理非能率、これでは戦争に負けるのは当然であったと思った。社会主義は全ての企業を国営にするものだと一般は考えており、社会主義者もそうした公式を当然と考えている様だが、私は国営には絶対反対である。国民全部が国家公務員になれば収入の均分化は期せられるかもしれないが、そこにもツマミ食いするという不心得者が根絶やしにならぬ限り、二年間に一億円の収入のあるブルジョアが生まれて來ることは、今度の事件で事新しいのではなく、過去何十年の間に起きた数多くの汚職事件、しかもそれは摘発された九牛の一毛であったことを思えば、資本主義以上の不公平が行われることは断定できる。
 資本主義の不公平は資本の圧力によって行われるとはいえ、一応相対納得、奇知商才、努力に基づく不公平である。
 商人が取引すれば70万円のエンジンが国営事業で買えば千何百万円になってしまう。いくら高く買っても、いくら損をしても、誰も懐が痛まないというのが国営企業である。『痛まない事があるか、国民が損をする』と怒る読書が若干はあるかもしれぬが、さてそれほどには痛痒も正義心も感ぜず、ひと月も経てば忘れているとこを見れば、それほど損を引き受けたとは考えられない。
 役人がつまみ食いばかりで日が暮れても、別に誰も目に見えて損をした者がいないようでも、世界は日本ばかりで持っている訳ではない。日本だけで済むと言うなら税金はまるまる何もしない役人に食われ、道路はボロボロ、汽車はひっくり返る、大水は出る、税金は重い、不都合、不便も世界並と我慢をしていても済むが、これでは世界に立ち遅れ、何時になっても国民はウダツが上がらない。この各国との競争に伍していくには、税金は100%有効に使って貰わねばならない。
 しかし、私は日本人の役人に対する屈従主義、自分だけ良ければみすみす死地に飛び込む愚かしい人間があっても、頬かむりで通すという利己主義に、半分愛想が尽きかけていたが、あのおとなしい吉田重治郎市議が、今度のつまみ食い事件に義憤を感じているらしいのに、『これはまだ脈があるかな』と思い返す気になった。
 もっとも、新聞が書いている期間だけ腹を立てている位では、はなはだ心許ない、せめてこうした役人の発生によって来るところを、大衆が見抜いて、心底からこれらの政治の形態を変えようと発意するようにならなければ駄目だ。
 吉田市議の様な人をもっと怒らせるにも、さらに一段二段大口のつまみ食いが行われなければなるまい。
 つまみ食いも満更無駄ではない 。


 コラム『あまのじゃく』は、埼玉県西武地方の日刊ローカル紙「文化新聞」に掲載された評判の風刺評論です。歯に衣着せぬ論評は大戦後の困窮にあえぐ読者の留飲を下げ、喝采を浴びました。70年後の現代社会にも、少しも色褪せず通用する評論だと信じます。
 このエッセイは発行当時の社会情勢を反映したものです。内容・表現において、現在とは相容れない物もありますが、著作者の意思を尊重して原文のまま掲載いたします】

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