見出し画像

間違ったらお仕置き

コラム『あまのじゃく』1955/1/24 発行 
文化新聞  No. 1696


騙されまい! 目先のアメ玉に‥‥

    主幹 吉 田 金 八

 選挙管理内閣という借り屋住まいの鳩山内閣が、借り屋の期限が目先に近づいているのに、家の模様替えやら土台や生垣の問題まで『来年はああしよう、こうしよう』と、あたかも自分の家の様なつもりで 予定計画を発言しているのには笑わせられる。
 前の住人が家賃を滞らせて追い払われ、空けておくのも物騒だから、家賃の支払い力は無い事は分かっても、後の借り手が見つかるまで、留守番として入れさせられた身分を忘れて、ああのこうのは大家が聞いたらチャンチャラおかしいであろう。
 ところが、久しい沈滞と我儘な吉田内閣に飽きた国民は、口先だけでもお為ごかしの、税金を500億減税する、公営住宅は42万個作るといった棚ぼた政策に、そんな事は出来っこないと知っていながら、つい釣り込まれたくなるのは、暗い事ことより明るい事を好む人情の自然である。
 胃がんで、どうにも手術をしなければ治りっこない病人でも、手術は億劫で、『この薬なら』『この注射で』という安易な治療に騙されやすい。しかし手術しなければならぬ病気は、膏薬貼りでは結局治らず、いよいよ手術をする決心がついた時には手遅れという例は、世上まま多いことを考え直そう。
 民主党などと言っても、つい先頃まで自由党を担ぎ廻り、吉田のもとにご機嫌を伺っていた連中で、今更『俺は吉田と考えが違う』ともっともらしく言ったところで、吉田が不人気になったので、親の欠点を囃子し立てるバカ息子となんら変わらない。
 埼玉県の県会議員が自由党に残るか、民主党に走ろうかと判断に迷っているのは当然なことで、民主党も自由党もなんら変わりないので、ただあるのは引き立てる親分の系統がいくらか違うと言った程度である。
 不味いので売れなくなった飴玉を、包装を変えて中身まで作りたての別のものだとはやし立てて売り出すようなものである。
 オマケに騙されたり、 電気洗濯機、アメリカ遊覧の抽選につられて、まずい飴玉を買ってから、どうしてこんな品物を保健所は監督しないのだと愚痴をこぼしたり、ねじ込んでみても始まらない。
 それだから、メーカーや販売店の信用を確かめなければならないのだが、この節は信用のあるメーカーも、潰れかかった苦しいまぎれに色々と手の込んだゴマかしをやりかねないから、マークのみにも頼れない。
 要は国民一人一人に品物を吟味する良識を持たせる以外にはない事になる。
 動物に芸を仕込むのに、間違ったら食物を与えなかったり、痛い目に遭わせる方法があるが、人間様が選挙で間違ったら戦争で親兄弟を失わせられたり、家を焼かれて乞食の生活をさせられるような、ちょうど動物が芸を仕込まれるような、幼稚なお仕置きにあわされる愚は、もう良い加減でお終いにしたいものである。 


 コラム『あまのじゃく』は、埼玉県西武地方の日刊ローカル紙「文化新聞」に掲載された評判の風刺評論です。歯に衣着せぬ論評は大戦後の困窮にあえぐ読者の留飲を下げ、喝采を浴びました。70年後の現代社会にも、少しも色褪せず通用する評論だと信じます。
 このエッセイは発行当時の社会情勢を反映したものです。内容・表現において、現在とは相容れない物もありますが、著作者の意思を尊重して原文のまま掲載いたします】

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?