寺本由平氏の近況
コラム『あまのじゃく』1963/10/19 発行
文化新聞 No. 4596
健康の要諦は『快食、快便、快眠』
主幹 吉 田 金 八
新潟で買ってきた梨を袋に入れて懇意なところに配った。
新聞社の重役にも「バカにしたようなものですが」と機会を見てはお届けした。キロ35円、 40円で買ってきた出盛りを過ぎた時季遅れのもので、どこでも売っているものだが、『気は心で』滅多こんなことのない私だけに品物はわずかでも皆さんには喜ばれた。
重役さんたちも、創立以来一銭の役員手当も出していない新聞社で、「この地方にもこんな新聞がなくては」というのか、「あっても悪くもない」という意味でか、日頃応援して貰っており、「飯能の新聞として応援をして貰っていながら」その主管者である私が「飯能では物足りない」として、機会を見ては新潟市に進出しようと心組んでいる事は、本来なら「ふざけた奴」だと言うことにもなり兼ねない。
今度、新津市に土地を買おうというのは、その金の出所はこの重役さんの中に後援者を見つけない事にはとても不可能なことである。そんな意味でも私の心情を理解して貰わねばならない。
だから、「新潟に行ってきました」とお世辞を使わねばならない。
石井、萩野両重役のもとに届けようと、運転台に梨の袋を乗せて出かけたが、飯能高校前通りで知り合いのローカル紙記者と出会って車を止めた。
その場所がちょうど寺本由平君の家の前で、同君は3、4年前、大塚製作所(現在の飯能製作所)の外交部長で、東京都の水道工事の仕事をしている最中、 現場で脳軟化症を起こし、2年も飯能病院に入院、最近ようやく自宅療養の程度に回復したという事を聞いていた。
私も昔、自動車のブローカーをやっていた頃からの知り合いで、戦後は私は新聞記者として、寺本君も分村事件当時市会議員をやっており、家庭的には交際のあるほどの関係はないまでも、彼が半身不随で病床にあるという状況では見舞いに行かなくてはならないと、折に触れて気にかけていた。
ちょうど自動車を止めたのが同君の家の前、手土産には格好な越後からの梨がある。
それも萩野さんのとこへ持って行こうとしたものだが、寺本くんも萩野さんが社長している飯能製作所の社員であったし、今でも奥さんがその会社の事務員をしており、いわば萩野さんの一族も同様である。これを流用しても筋が立たない訳でもない、と袋を下げて玄関の戸を開けた。
もちろん、昼間は奥さんは勤め、子供さんも学校で留守だったが、私は訪いの言葉と共に座敷に上がって行った。
床の上にいた寺本君は座布団はそこ、灰皿はあそこ、と自分は体が動かせないで口先だけの接待だが、その言葉の端々にも、意外な昔の友人の思いがけぬ訪問を喜ぶ様は溢れて、「なぜもっと早く見舞わなかった」と、私はしばらく自分の無精を恥じる気持ちにさせられた。
しかし、病状は想像したより元気で、血色も良く、言語も明晰、下半身は腰と膝のリュウマチのため、全然自由はないらしいが、「もう2年も根気よく治療を続ければ、自動車に乗せられれば街にも出られる様になる」と、身体の回復に自信があふれていた。
「吉田君が訪ねてくれたので白状するが、『高南十四三』の仮名でこのところ投書するのは僕だよ」と言って最近時事問題でこの仮名、一灯庵のペンネームで時事川柳、小ばなし等を新聞に投稿して寄こすのは寺本君だと判った。
「文化新聞は隅から隅までむさぼる様に読んでいる」と言った。
また、「私の病気はアルプスの山で千尋の谷に落ちた登山者が、はるか崖上から垂れた綱にすがって、真っ暗の谷を夢中で這い上るようなものだった」と三年間の絶望の療養生活を追想し、「しかし、最近は飯能病院の若先生が『奇跡だ』と言うほど空洞だった床ずれの傷にも肉芽が芽生えて、この分ではもうあと2年もすれば、この立たない足腰も自分のものにするという意欲が湧いてきた」と目を輝かせて語り、「私をこれまでにしたのは勿論増島先生のお陰であると思って、感謝の言葉もない。
第二番目は何といっても女房の献身の看護であり、それと並んで会社が13ヶ月も私の働いてた時の給料を補償してくれ、現在でも私に代わって女房を使って生活を見てくれている厚情と、同僚、工員の友情である」と感激を語り、丸三年間をほとんど全身不随で送った人とは思えない、暗い影は微塵もない面差しであった。
私の健康についても、新聞を通じてよく知っており、「健康の要諦は快食、快便、快眠にある」と私にもその点を守るよう教えてくれた。
コラム『あまのじゃく』は、埼玉県西武地方の日刊ローカル紙「文化新聞」に掲載された評判の風刺評論です。歯に衣着せぬ論評は大戦後の困窮にあえぐ読者の留飲を下げ、喝采を浴びました。70年後の現代社会にも、少しも色褪せず通用する評論だと信じます。
このエッセイは発行当時の社会情勢を反映したものです。内容・表現において、現在とは相容れない物もありますが、著作者の意思を尊重して原文のまま掲載いたします】