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恵まれた文化の日

コラム『あまのじゃく』1957/11/5 発行
文化新聞  No. 2717


設備・人員盤石のローカル新聞社を‼

    主幹 吉 田 金 八 

 11月3日『文化の日』は、本社では社員全員が総休みを取って、のびのびと秋晴れの一日を楽しんだ。
 4日付けの新聞は読者には悪いが、3日のと一緒に作りためておいたわけで、勢い記事もおざなりのものであったことをお詫びする。
 飯能の市制祝いは5日の期間中ほとんどが雨で潰れてしまったが、これは9月の下旬はお天気のパッとしない時期で、飯能のお祭りといえば空模様を気遣わねばならぬのは毎年の例である。
 市制祝いに懲りて秋祭りの日取りを変えたい世論が起こりつつあるようだ。これに反して、11月3日は明治天皇祭以来、秋の好日として現在の文化の日に選ばれるほど、暑からず寒からぬの気候と、それに、この日に雨が降ることは珍しいとさえ言われており、新聞休刊日は正月が3日間、盆と春秋の祭礼日と年間6日間に抑えているが、来年からは、この文化の日の11月3日を本社の記念日として総休業日の中に加えたらと目下思案中である。
 この思いつきは第一が文化新聞と文化の日の繋がり、第二が必ずお天気間違いなしの過去の実例、第三が私の誕生日は戸籍上は11月7日になっているが、本当は3日の明治天皇誕生日の旗日に生まれたという事で、別に今まで誕生日など祝ったことはほとんどないが、間違って母親の思いつきで赤飯を蒸かすことなどがあっても、戸籍上の誕生日はほとんど無視されて、母は3日を誕生日と思い決めていることなども大いに理由の中に含まれる。
 文化の日を本社の記念日とすれば、日本中の人々が本紙の発展を国旗を挙げて祝ってくれるというつもりになって満悦しておれば良い訳で、これは全くもったいないような都合のよい話ではないか。
 総社員が骨を伸ばしていても、新聞を休まない以上は若干の者は縁の下の力持ちで働かなければならない。そうした場合、いつも遊撃の役を受け持つのは家族ということになり、これが中小企業的な本社の強みである。
 作りおいた新聞と言っても、文化の日の諸行事は好天を予想しての予定原稿なので、万一この日が雨にでもなったり、何かの事故で、例えば女子野球が取りやめにでもなったりすることがないとは言いかねるので、新聞を予定原稿のままで刷り上げるのは冒険である。
 だから、その要員に子供たちを配置して、当日の模様を見て刷り上げたわけだが、こうした時に家族中が一つの事業に熟練工であることは全好都合である。
 我が社では子供全部を新聞事業に携わることを目標として教育しているから、来年大学を出る長男も、高校浪人の次男もその他3人いる女の子も、学校を出て他の会社、事業に就職する必要もなければ希望もない。
 全部が教育と技術を身につけたら、親父が興した文化新聞を日本一、否、世界一立派な地方紙として完成させることに協力することに異議はない様子も、親とすれば誠に愉快限りないことである。
 子供たちの話を聞けば、高校は高校なりに、大学は勿論の事、就職の話で持ち切りで、一流会社ならばこの上ないが、せめて二流、三流でも有名な事業会社に就職する事が、人生最大無二の理想であるかの如く伺われるが、これは私には如何とも理解に苦しむ所である。
 小さくとも一城の主、自分の蒔いた種を自分で刈る、創意創造の力を発揮すれば、どんな社会機構の中にあっても、必ず頭角を現すことは不可能ではない。
 何を好んで人の鼻息を伺い、媚びおもねなければ昇進の道が少ないという他人の碌を食むことに汲々として獲り付こうと焦るのかと言いたい。
 今学校を出た求職者の憧れの的である大事業、大会社も30年、50年の昔を顧みれば全く取るに足らない個人の小事業で、これを創始し、発展させたのは我々となんら変わらない無名の事業者であった。
 飯高文化祭で子供が新聞のできるまでの毎日新聞のパンフレットをもらって来たが、これを見ても毎日新聞は明治5年に創刊され、発足当時は木版手刷りであったものが、ほどなく活版刷りになったと書いてあり、以来80何年の今日、紙齢25,275号、全国に網を張る大新聞になったが、本紙が8年目に2,700号を出している現状を更に段々と向上発展させれば、文化新聞が今後30年経った時にはどのくらいの新聞までこぎつけ得られるか、毎日新聞と肩を並べる大新聞に成長をしないとは誰にも断言できまい。
 要は、これに従事する主幹者の頭脳と努力の問題で、こうしたことを考えれば、とても学校を出て大会社に就職し、30年経って課長になれたら退職金がいくらで、家を建て等という望みは馬鹿らしくて問題にならない。だから子供が誰それは親父のコネが効かずどこを滑ったとか、誰それは親父の威光で某銀行に入れたとか、おそらく学生仲間の日常最大関心の就職事情を聞いてくるが、「お前は就職試験も何もなしに、日本一流のローカル紙に就職できるのだから、こんな結構な御身分はあるまい」と親父から恩を着せられる始末である。
 就職のコースが心配ない代わりには、よそ様の子供とは違って、文化の日でもそれぞれのノルマが課せられているのは致し方がない。女房には1日の慰労を認めて末っ子を連れて東京に出したが、長女は中気の祖母の付き添い、長男は印刷、次男は製版と半日、1日分の仕事を割り当てて、私は所在ないままに新聞社の土間にコンクリート打ちを始めた。
 ここは通路でもあり、自動車の置き場でもあり、将来地下に印刷所を作る予定だが、それへの階段もあり、その階段を使用して自動車のドックにもなるような設計なのだが、眼を見て自分でやってる訳だが、このところ、写真製版の設備にかまけて、放り出してあったのを何とか格好をつけなければと思い立った。
 村野工業所からコンクリート・ミキサーを借りてあるので、砂利、セメントをこのミキサーに放り込んで、モーターを回しさえすれば良い訳で、一人でも結構には仕事がはかどるのは良いが、それでも結構な重労働ではある。
 早帰りで帰宅した女房が、「こんな日に働かなくても」と洋服をセメントだらけにして、 汗を流している私の姿に顔をしかめたが、「火にも水もにも驚かない、天地異変があっても新聞の発行が出来るような工場設備」を目標として、たとえ何年かかろうとも自力で完成させようという理想を抱いて、私は泥にまみれ、油にまみれて働いている時が一番楽しい。
 新聞は休まないから読者も顔をしかめない、社員はゆっくり文化の日を楽しんだ。私は来客にも日常の社務にも妨げられず、楽しい土方仕事に汗を流した。
 全くもって恵まれた文化の日であった。 


 コラム『あまのじゃく』は、埼玉県西武地方の日刊ローカル紙「文化新聞」に掲載された評判の風刺評論です。歯に衣着せぬ論評は大戦後の困窮にあえぐ読者の留飲を下げ、喝采を浴びました。70年後の現代社会にも、少しも色褪せず通用する評論だと信じます。
 このエッセイは発行当時の社会情勢を反映したものです。内容・表現において、現在とは相容れない物もありますが、著作者の意思を尊重して原文のまま掲載いたします】

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