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久子さん殺し無期判決

コラム『あまのじゃく』1956/2/26 発行 
文化新聞  No. 2068


大量殺戮の戦争に身震いが‥

    主幹 吉 田 金 八

 高階村の久子さん殺しの古谷が死刑になるか無期になるかは判決を巡って興味を持たれた。
 分村騒動の村松裁判長は温和な人柄と冷徹な頭脳の持ち主として知られているが、判決の結果は『無期懲役』であった。
 何らの怨恨も関係もない一通行人の久子さんを、通り魔の如くいきなり締め殺し、更に死体処理の残虐ぶりから押して、被害者の肉親も、また一般世人も死刑を予期していただけに、いささか物足りぬ思いに駆られているものと思われる。
 しかし、判決の理由にもある通り、殺人の動機が子供らしい単純な感情、残虐な処置は殺人後に行われたもので、殺人方法は扼殺であったことなどから、死一等を減じられたものである。
 世評はこの古谷判決を今問題の死刑廃止論に結びつけて、村松判事及び陪席判事団が、この時流に迎合したのではないかと云々する向きもあるが、記者はそうは思わない。古谷殺人の動機が横恋慕が受け入れられず、愛人に裏切られたと思い違いをし、久子さんをこの愛人と見間違って行きずりにカッとなっての強行、という様な悪賢さのない思いつき的の殺人と断定しての判決であるとみられる。
 失恋したからといって手当たり次第にバラされては、相手の方はたまったものではなく、やたらに人間違いで殺されてはかなわないが、被告の精神が異常ではないまでも、発育不十分という様なところにも、裁判長の恩情が加えられたのではないかと伺われる。罪もないのに殺された被害者久子さんのご両親兄弟としては、不本意な判決かもしれないが、人間が神の気持ちになって判断する裁判として、妥当な結果のように思える。
 普通一般の気持ちでは、『こんな危険千万な人間は死刑が当然』とあっさり感情的に片付けられるべき古谷の如き一人の若者の処刑に対しても、法はこれだけの慎重さを持って臨み、人間の生命の尊さを示しているのにもかかわらず、こと戦争となると人間はどうして、ああも気持ちが変わってくるのであろうか。
 大東亜戦争で日本人が犯し、また犯された大量の残虐な殺傷、戦争の最中には日本人も相手の国民も古谷同様の無軌道な状態になってしまうのだから恐ろしい。もちろん、戦争には民族の興廃とか、他国の侵略に対する反抗、イデオロギーの対立等の当事国にはそれぞれ一方的ではあっても一応の大義名分があり、こうした挙国体制に引きずられて相手国の戦闘力にとどめを刺すため、弾丸を撃ち合うのだが、敵の戦力の破壊の目的以外に、どこの国にも古谷と同等な人間はいるもので、戦争の雰囲気によって非戦闘員の殺戮まで何とも思わずやってのけるものが多い。古谷はこの戦争時代の殺伐な興奮を戦後、平常の時まで持ち続け、本能の命ずるままに殺人を犯したと見るべきであろう。 古谷は戦争に参加していなかったかもしれないが、彼の生い立ち時代に殺戮を何とも思わない時代精神が住みついてしまったのである。
 『戦争で何十万という人殺しが行われた。俺が裏切り女の一人くらい殺すのは何で悪い』位のことは彼の言いたいとこかもしれない。犯罪者が出るのは社会の罪だという様なことを言うが、古谷も戦争の落とし子の一人に相違ない。
 ここで我々は反省しなければならない事は、悪の意識なしに殺人のできる戦争の恐ろしさである。戦争は古谷の如き未発育生命を量産したと同時に、久子さんの両親兄弟を何万人、何百万人も国中に溢れさせたことである。
 一人の殺人ですら、これだけ世間の注目と批判を呼んでいるのに、何十万人の殺人の是非、善悪になぜもっと真剣に取り組まないかという事である。


 コラム『あまのじゃく』は、埼玉県西武地方の日刊ローカル紙「文化新聞」に掲載された評判の風刺評論です。歯に衣着せぬ論評は大戦後の困窮にあえぐ読者の留飲を下げ、喝采を浴びました。70年後の現代社会にも、少しも色褪せず通用する評論だと信じます。
 このエッセイは発行当時の社会情勢を反映したものです。内容・表現において、現在とは相容れない物もありますが、著作者の意思を尊重して原文のまま掲載いたします】

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