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命あっての物種

コラム『あまのじゃく』1953/3/4 発行 
文化新聞  No. 642


子育ての究極は?

 主幹 吉 田 金 八

 いつの頃からか知らないが納豆売りにしてはチョット遅い時間、ちょうど私どもで朝食の前後に決まって納豆売りに来る老人がある。
 この老人は人品卑しからず、一見士族の商法とでも言うのか、随分久しい間のお客と売り手と言う関係であるにもかかわらず、ほとんど口を聞くことも少なく、もちろんお世辞なども一言も言った例は無い。
 私の家では入り口を入ったところに子供たちが寝ており、朝は新聞を取りに配達の子供たちが早くから来るので、その時分には戸が開くようになっている。
 女房は朝起きて学校に通う子供の食事の支度にかかるためにお勝手におり、その子供たちの枕元に近い障子を開けて、黙ってずっと立っているのがいつもの例である。
 「納豆はいかがですか」とか「おはようございます」とか言うのが普通だろうが、この老人に限って『うん』とも『すん』とも言わない。子供たちが寝床の中から「今日は間に合いました」といっても、大人が気づいて買うかもしれないといった態度で、残り惜し気にゆっくりと戸口を出て行き、時には振り返って戸外で中を伺っている風情だ。
 大人が気づけばあんまり買いたくない納豆でも1つや2つは買わぬ訳にもいかず、女房は子供が断るのをよい潮にさえしている様子である。
 子供たちにも、この品の良いじいさんが何か重苦しい印象を与えると見えて、同じ「要りません」も普通のもの売りに対するのとは少し違った、よそ他所行き言葉である。
 私も少し離れた部屋で子供たちの「間に合いました」と言う声をよく聞いてはいるが、その老人がどんな人相風采か未だ良く見たことがない。
 ただ、そうしたことを聞きながら、「いかに士族の商法でもあんまり言葉がなさすぎる」と思って、内心その老人には好感が持てずにいた。
 そんなふうに、この老人は私どもにはあまり歓迎されぬ売手ではあっても、それでもよその家に比べれば上得意と見えて、半年、1年の間常に出入りしている。
 今日その老人と初めて顔を合わせた。というのは昼食を喰っている時に兵隊外套を着て買い物籠を下げて入口に立っている。例によって無言である。
 おばあさんに「卵は買ったばかりで」と断られて情けなさそうな顔で帰っていく後ろ姿は哀れであった。
 もう相当の年配である。「あのじいさん、今度は卵売りか」私が母に聞けば、「朝は納豆で昼は卵売りなんだよ。なんでも骨を折って大学まで出した息子が病気で入院しているとかで、気の毒なんだよ。それにこの頃はお店で納豆は8円で売ってるので、あのじいさんの商売にも障るんだろうよ」と言う説明である。
 いつも無言だと思っていたら、たまには老人同士でグチ話ぐらいはあったのかも知れない。
 息子が大学を出るのを唯一の希望として、あの寒い毎朝、納豆売りまでしていたのに、卒業間近に迫って頼りにしていた息子が病気で倒れるとはよほど運の悪い老人であろう。
 丁度試験が始まって早じまいの次男が一緒に飯を食っていたので、
「勉強も良いが身体を壊したら何にもならないから、試験などほどほどで良いよ。いつもお父さんが言うように、学校の成績で人間の価値が決まるわけでは無いのだから、点取り虫に成りなさんな」と別に身体は貧弱な方でもないが、強いられずとも勉強好きな次男が、折からの学年試験で取越苦労気味なのを元気付けて、少しでものんびりしたほうに気持ちを向けさせようとの親心を示す。
 中学・高校を出て進学か就職かで、どこの家庭でも頭を悩ましていることだろうが、成績の良い子供を思う様に進学させ得ない貧困の悩み、経済的には許されても頭脳、健康がおもわしくない子供や両親の悩みなどそれぞれの苦労は千差万別であろう。
 ただ私の思う事は、この老人の例を引くまでもなく、『馬鹿でも丈夫が良い』ということである。
 誠に『命あっての物種』で、いかに頭が良くても、良い学校を出ても、病気で挫折するようでは何にもならない。
 親たちの見栄や、学問に対する期待というより、学校卒業のレッテル欲しさのために、子供の健康への過重な負担は考慮が必要である。


 コラム『あまのじゃく』は、埼玉県西武地方の日刊ローカル紙「文化新聞」に掲載された評判の風刺評論です。歯に衣着せぬ論評は大戦後の困窮にあえぐ読者の留飲を下げ、喝采を浴びました。70年後の現代社会にも、少しも色褪せず通用する評論だと信じます。
 このエッセイは発行当時の社会情勢を反映したものです。内容・表現において、現在とは相容れない物もありますが、著作者の意思を尊重して原文のまま掲載いたします】

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